神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

御名の中に生きる2 〜祈りの中で示されたこと

夜の祈りの中で、示されたこと。

使徒行伝4章
4:12この方のほかに、救いはありません.わたしたちが❶救われるべき名は、この名のほか、天下のだれにも与えられていないからです。
4:13 彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、しかも二人が❷無学な普通の人であることを知って驚き、また二人がイエスと共にいたことを認めた。

4:14 そして、いやされた人が彼らと一緒に立っているのを見て、返す言葉もなかった。
4:15 そこで、彼らは二人に、サンヒドリンの外に出るように命じてから、互いに協議して
4:16 言った、「この者たちをどうしたらよいだろう? ❸確かに、著しいしるしが彼らによって起こったことは、エルサレムに住むすべての人に明らかであるので、われわれはそれを否定することはできない。

4:17 しかし、それが民衆の間にこれ以上、広がらないように、今後❹この名によってだれにも語ってはならないと、彼らをおどしてやろう」。
4:18 そこで、二人を呼んで、❹エスの名によっていっさい何も語ったり教えたりしてはならないと命じた。使徒行伝4:12-18(回復訳)

 

使徒行伝では、御名の権威を使って、弟子たちは❸確かに、著しいしるし(病を癒し、悪霊を追い出し、死人を蘇らせていた)を起こしたのです。

ペテロとヨハネは、「❶救われるべき名は、この名のほか、天下のだれにも与えられていない」と言っています。

確かに、著しいしるしが彼らによって起こったのです。

それでサンヒドリンの迫害する者たちは、❹この御名を語るのを禁じました。それは、御名が権威のある、力ある名だと迫害者たちも認めていたからです。この御名は、奇跡力そのものです。1️⃣御名の権威を使って、弟子たちは著しいしるし=病を癒し、悪霊を追い出し、死人を蘇らせていたのです。

救われるべき名は、この名のほか、天下のだれにも与えられていない

 

使徒行伝で、サンヒドリンの迫害する者たちは、ペテロやヨハネを❷無学な普通の人であると言っていました。しかし、彼らが行う奇跡は、イエスの名によって行われているのだと見抜きました。それゆえ、❹この御名を語るのを禁じたのです。それは、御名が権威ある、力ある名だと迫害者たちも認めていたからです。御名の権威を使って、弟子たちは病を癒し、悪霊を追い出し、死人を蘇らせたのです。

使徒行伝では、こう祈っています。

4:29主よ、今、彼らの脅迫に目をとめ、あなたの奴隷たちに、❺全き大胆さをもって、あなたの言を語らせてください.
4:30 御手を伸ばしていやしを行ない、❻あなたの聖なるしもべイエスの御名を通して、しるしと不思議を行なわせてください」。(回復訳)

使徒たちは、❹この御名を語るのを禁じられましたが、その後も大胆に御名を宣べ伝えたのです。

御名の中に生きるために、この御名を恥としないで、現していく生き方が大切です。いや、むしろ2️⃣❺全き大胆さで御名を宣べ伝えたのです。❷無学な普通の人でも、大胆に御名を宣べ伝えたことにより、御名の権威によって、奇跡力を発揮したのですね。それは、❻YHWHの聖なるしもべイエスの御名を通して、しるしと不思議を行ない、YHWHの栄光が現れるためだったのです。

御名の中に生きるとは、御名の権威に任せて、主の権威を体感して生きることです。3️⃣イエス・キリストの聖なる御名は、 「YHWHは救い」であります。御名に権威があるわけですから、我々の行いによるのではありません。大胆にイエス・キリストの御名を現せばよいのです。神の支配の中で生き、神に任せることでYHWHの栄光が現れることなのですね。権威とは、我々がどのような者であっても、損われることはないのですから。我々は、権威あるものの特使です。

ルカ伝より

10:17さて、七十人は喜んで帰って来て言った、「主よ、悪鬼どもでさえ、あなたの御名の中でわたしたちに服従します」。
10:18 イエスは彼らに言われた、「わたしは、サタンが天から稲妻のように落ちるのを見ていた。
10:19 見よ、わたしはあなたがたに、蛇やさそりや敵のすべての力を踏みつける権威を授けた.だから、何ものも決してあなたがたを害することはない。(回復訳)  ハレルヤ!

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御名の中に生きる1 〜2018年の目標

今年2018年、イスラエルが独立した1948年5月14日から70年が経過します。正月に、痛く示されているのは、御名の中に生きることです。

「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。
‭‭イザヤ書‬ ‭43:7‬ ‭(口語訳)

元旦に気づいたこと。まだ主の名をもってとなえられる者に整えられていないということ。情けない限りです。今年は、御名の中に生き、主の名をもってとなえられる者になることを目標にします。初代教会での標準を身につけたいのです。この客観的評価を体現するためにも、肉の努力ではなく、まずこの生き方を理解しなければならないのです。主よ、YHWHの救いを知らしめてください。

本年もよろしくお願いします。

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今夕のご臨在 〜三度目の梯子

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帰りも、現れました。ベテルは、ここなのでしょうか?

 

旧約聖書続編エズラ記(ラテン語)6: 7-16より

7そこでわたしは答えた。「時の区分はどのようになるのですか。いつ前の時が終わり、いつ次の時が始まるのですか。」
8天使は言った。「アブラハムに始まりアブラハムで終わる。なぜなら、ヤコブエサウも彼の子孫であり、ヤコブの手は、初めからエサウのかかとをつかんでいたのである。
9この時代の終わりはエサウであり、次の時代の始まりはヤコブである。
10実に人の終わりはかかとであり、人の初めは手である。エズラよ、手とかかとの間に、隔たりを求めるな。」
11わたしは答えた。「統べ治められる方、主よ、もし御好意にあずかっているのでしたら、
12あなたが先日の夜、この僕に一部示してくださったあのしるしの結末をお示しください。」
13天使は答えた。「自分の足でしっかりと立ち、鳴り渡る声を聞きなさい。
14あなたの立っている場所が大きく揺れ動いて言葉が下るが、恐れてはならない。
15それは終末についての言葉である。大地の基は、
16それが自分についての言葉であることを悟り、震えおののくであろう。大地の基は、終末に自分が変わらねばならぬことを知っているからである。」

✨今夕のご臨在 〜再び天使が?

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あゝ、美しい。そして、壮大だ。誰かが立っている。

 そしてイエスはトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい.あなたの手を伸ばして、わたしの脇に入れなさい.信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。ヨハネ20:27

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あれ、天使が顔を出したかな?1月と同じ方でしょうか?

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2017/01/02/211635

 

今朝のご臨在 〜圧倒的な存在

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朝の祈りでは、雲の中に大きな目が現れた。畏怖を感じ、そちらは写真など撮れなかった。

朝、現れた十字架。あまり上手く撮れていない。

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漁師が投網で獲った魚

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 ここでは、すべての生命が創造主を証ししている。

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冬でも蝶が舞っている。 どんなに人類の科学が発展しても、この小さな蝶一匹すら造りえないだろう。