上のホロコーストのビデオを見ていたら、幻に引き込まれました。
自分がアウシュヴィッツにいました。ビルケナウ強制収容所です。たくさんのユダヤ人の中で、家族から引き離され、奴隷のように働かされているのです。収容所の仲間たちがひとりまた一人と消えていきます。働けなくなればガス室か銃殺が待っています。死を待つだけの収容所です。
そうだ、どうせ死ぬならここから逃げ出そう。どんな目にあってもここから逃げ出そう。ただ死を待ったりはしない。とことんもがいてみせる。ガス室に入れられたなら、どんなにもがいてももう遅い。死が後を追いかけてくる。それなら、この世というアウシュヴィッツから逃げ出してみせる。
霊の感覚を研ぎすまし、機会を窺いながらフェンス近くに歩み寄れ。
神が一緒にいてくれる。フェンスに近づき有刺鉄線をよじ登れ、どんなに痛みがあろうと、銃声が聞こえようと、よじ登れ。このフェンスを超えて死の世界からおさらばしてやる。そしてあの青い森に向かって全速力で走り抜け。旧約のロトのように逃げろ、後ろを振り向くな!どんなことがあっても走り抜け。息の続く限り走り抜け。あの針葉樹の繁茂する森の中へ。生命の森の中へ...
パンパンパン、甲高い銃声が聞こえ、身体が止まった。スローモーションで倒れていく。もうこれまでだ。もう少しなのに。
息途絶え、涙で霞んだ目の先には針葉樹林が見える。森の中に人影が見えた。二人いる。後ろ手で歩く人は...コルベ神父だ。神父は、死んだんじゃなかったのか。もう一人は、イエス様じゃないか。
そして声が聞こえた。
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。」マタイ16:25
私は、間違っていました。自分ひとりで逃げだそうとする私は、命を救うのでなく、失おうとしているのですね。※コルベ神父、あなたこそ、天国にふさわしい方だ。あなたこそ、この自己中心で憎しみと殺意に満ちたホロコーストから脱出できたのです。
※1941年7月末、アウシュヴィッツ収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が見せしめに餓死刑(一切の食物を断つ刑)に処せられることになった。囚人たちは番号で呼ばれていったが、フランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いたとき、そこにいたコルベ神父は「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た。責任者であったルドルフ・フェルディナント・ヘスは、この申し出を許可した。コルベ神父と9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。
通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、コルベ神父は全く毅然としており、他の囚人を励ましていた。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツ(Bruno Borgowiec)は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言している。2週間後、当局はコルベ神父を含む4人はまだ息があったため、フェノールを注射して殺害した。〜Wikipediaより
終末の時代に整えなければならないのは、コルベ神父のような無私の愛を現すことなのですね。私には、できそうにありません。どうしたら良いのでしょう。
また、聞こえた。
「人にはできないが、神にはできる。」マルコ10:27
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/06/12/033222