神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

トマスの福音書41 〜持っている者

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継続してトマスの福音書を解説し、意訳しています。

 

41節

 *Said-JS41 this: he-who-has-it/he in-his-
hand, they-will-give to-him, > and he-who-has-not(it), the-other -little-bit which-has-he, they-will-take-it(m) from-his-hand. 

 

41直訳

JS41 イエスはこう言った:それを❶持っている彼は、/彼の手の中に、彼らは彼に与えるだろう。それを❷持っていない彼は、ほかの持っている少しも、彼らはその手からそれは取り去るだろう。

 

トマス 41節には同じような記事が、共観福音書の中にもあります。マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝で共通する記事を並べてみると、持っている者とは何かが見えてきます。

マタイ伝13章

13:10弟子たちが来て、彼に言った、「なぜ、彼らにたとえで語られるのですか?」
13:11イエスは彼らに答えて言われた、「あなたがたは、天の王国の❸奥義を知ることを賜わっているが、彼らは、それを賜わっていないからである。
13:12というのは、❶だれでも持っている者は与えられて、満ちあふれるようになるが、❷持っていない者は、持っているものまでも取り上げられるからである。
13:13こういうわけで、わたしはたとえで彼らに語るのである.それは、❹彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、理解しないからである。(回復訳)

*天の王国の❸奥義を知ることについて、❶持っている者に与えられ、❷持っていない者は、持っているものまでも取り上げられると言っています。それは、❹彼らは天の王国の❸奥義を見ても見ず、聞いても聞かず、理解しないからだと言っています。持っているとは、天の王国の❸奥義を見聞きし、理解することなのです。

マルコ伝4章

4:21イエスはまた彼らに言われた、「🔥❺ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためであろうか? 燭台の上に置くためではないか?
4:22隠されているもので現されないものはなく、秘められているもので公にならないものはないからである。
4:23❹聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:24イエスはまた彼らに言われた、「❹聞いていることに気をつけなさい。あなたがたが量る❻その量りで自分に量られ、また自分に加えられる。
4:25❶持っている者には与えられ、❷持っていない者は、持っているものまでも取り上げられるからである」(回復訳)

*❻量りとは何か、ルカ伝6章に次のような記事があります。

ルカ伝6章

6:36あなたがたの父が❼あわれみに満ちておられるように、❼あわれみに満ちていなさい。
6:37また❽裁いてはならない.そうすれば、あなたがたも決して裁かれることはない.罪定めしてはいけない.そうすれば、あなたがたも決して罪定めされることはない.赦してあげなさい.そうすれば、あなたがたも赦される.
6:38与えなさい.そうすれば、あなたがたも与えられる.❻量りをよくし、押し込み、ゆすり入れ、あふれるばかり、あなたがたの懐に入れてもらえる。あなたがたが❻量る量りで、あなたがたにも量り返されるからである」。

*ここで❶持っている者が、さらに与えられる方法が書いてあります。

父が❼あわれみに満ちておられるから、❼あわれみに満ち、与えなさい.そうすれば、あなたがたも与えられる.❻量りをよくし、押し込み、ゆすり入れ、あふれるばかり、あなたがたの懐に入れてもらえる。あなたがたが❻量る量りで、あなたがたにも量り返されるからと言っています。

❶持っている者とは、❼あわれみに満ちている者なのです。また、❽裁いてはならないことも大切なことです(マタイ7:1-2)。❻量りをよくし、あわれみに満ち、人を罪定めしない者に、さらに与えられるのです。

ルカ伝8章

8:10彼は言われた、「あなたがたには、❸神の王国の奥義を知ることを賜わっているが、ほかの者にはたとえを用いる.それは、彼らが❹見ても見ず、聞いても理解しないためである。
8:11このたとえはこうである.種は神の言である。
8:12道ばたのものとは、御言を聞いた人たちである.やがて悪魔が来て、彼らの心から御言を奪い取ってしまう.彼らが信じて救われることのないためである。
8:13岩の上のものとは、聞くと喜んで御言を受け入れる人たちである.これらの人たちには根がないので、しばらくは信じているが、試練の時には退いてしまう。
8:14いばらの中に落ちたものとは、御言を聞いても、日を過ごすうちに、生活の思い煩いや富や快楽によって完全にふさがれて、実を熟すに至らない人たちである。
8:15良い地に落ちたものとは、❽気高い善良な心で御言を聞き、それをしっかりと保ち、忍耐をもって実を結ぶ人たちである。
8:16だれも、🔥❺ともし火をともして、それを器で覆ったり、寝台の下に置いたりはしない.かえって、燭台の上に置き、入って来る人に、光が見えるようにする。
8:17❾隠れているもので、明らかにならないものはなく、隠されていて、知られることがなく、あらわにならないものは、決してないからである。
8:18だからあなたがたは、❹どのように聞くかに注意しなさい.❶持っている者は与えられ、持っていない者は、❷持っていると思うものまでも、取り上げられるからである」。(回復訳)

*ここでは、種蒔きの譬えの解説から、❸神の王国の奥義を知る人について書いてあります。それは、❽気高い善良な心で御言を聞き、それをしっかりと保ち、忍耐をもって実を結ぶ人たちです。持っている者とは、❽気高い善良な心で御言を聞き、それをしっかりと保ち、忍耐をもって実を結ぶ者なのですね。

持っている者には、❾隠れているものも、明らかにされ、隠されていて、知られることがないものは、決してないのです。天の王国の❸奥義も明らかにされるのです。

41意訳

JS41 イエスはこう言った「彼ら(エロヒム)は、(天の王国の❸奥義を)手の中に❶持っている(❽気高い善良な心で御言を聞き、それをしっかりと保ち、忍耐をもって実を結ぶ)者に、(さらに加えて奥義を)与えるだろう。彼ら(エロヒム)は、(天の王国の❸奥義)を❷持たない者の手から、持っている少しをも取り去るだろう。」

 

天の御座のキリストを見よ 〜サンダー・シングSS18

サンダー・シングの話〜

「天界では、肉眼によってではなく、❶霊眼によってものを見る。わたしは、この霊眼が、肉体を離れ去った後で、誰もが使うものであると言われた」。

天界の中央はキリストである。キリストが中央にありながら、どこに行ってもそこにいると言う。*❷「神の中心はすべてにあり、神の円周はどこにもない」とのべた聖ボナヴェントゥラ(1221-1274)は、天界を垣間見たに違いない。「❸御座のキリストが常に中央にある。それは言語に絶するほど神聖な御姿である。恍惚(エクスタシー)の際にわたしが拝したその御姿は、わたしが回心の時に見た御姿と全く変わらなかった。主は、御血の流れる傷跡を今もお持ちである。傷は醜くなく、美しく栄化されている。御顔にはひげがあり、長いひげは黄金のよう、輝く光線のようである。御顔は、照り輝く太陽のようである。しかし、その光はわたしを幻惑させることはない。優しい御顔である。常に微笑み、愛らしく輝く笑みを湛えられている。恐ろしい御姿では決してない。

キリストの御座の周囲には、輝かしい霊的存在者たちの大群衆が、どこまでも広がっている。聖徒たちもいれば、天使たちもいる。その違いを見分けることができない。違いは重要ではない。われわれは皆一つである、と彼らはわたしに語った。彼らは皆、キリストの弟のように見える。彼らは皆栄化されているが、主の栄光は、彼らよりもはるかに輝かしい。また彼らは栄光の度合いに違いがあり、それは色の違いにも似たところがあるが、それほどはっきりしたものではない。

彼らの衣は、いわば光でできていると言ってよい。眩しいものではないが、多くの色彩を帯びている。そこでは、この世界よりはるかに多くの色がある。その美しさと比べれば、ダイヤやその他の宝石さえも色あせる。わたしに語りかける時、彼らは❹一瞬のうちにわたしの心の中に思いを注ぎ込む。それは、地上において、相手の話そうとすることが、話す前からわかるのにも似ている。わたしは、霊界の言語を学ぶ必要はなかった。体を離れてあの世界に入るとき、われわれはいとも容易に、ごく自然にその世界の言語を話し始める。それは、新生児がこの世に生まれ出る瞬間に、全く未経験であるにもかかわらず、すぐさま呼吸をし始めるのと同じである。〜サンダー・シング「Visions of the Spiritual World (London: Macmillan, 1926).聖なる教え」より

天界を見る❶霊眼は、マタイ6章にあるひとつの目のことです。

マタイ伝6章

6:20むしろ、自分のために天に宝を蓄えなさい.そこでは、しみやさびが食い尽くすことはなく、盗人が穴を開けて盗むこともない.
6:21なぜなら、あなたの宝のある所に、あなたの❺心もあるからである。
6:22❶目は体の❻🔥ともし火である。だから、あなたの目が❼単一であるなら、あなたの全身は光に満ちる.(回復訳)

 

❶霊眼は、❺心を天へと持って行くことです。❼単一の方向へ目を向けて、❸御座のキリスト、聖徒たち、天使たちを見るだけでなく、❹一瞬のうちに心の中に注ぎ込む天の言語が理解できるとサンダー・シングは言っています。

天界を見る❶霊眼は、再臨の日に必要な❻🔥ともし火であるのでしょう。

サンダーは、祈りと瞑想の中で❻🔥ともし火を手に入れたのですね。

 

*❷「神は無限の球体である。その中心は到るところにあり、その円周はどこにもない。」は、パスカル(1623-1662)の「パンセ」にもある一文。

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http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/08/09/143800

今夕のご臨在 〜天の目

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2018.7.30撮影

イザヤ書27:1
その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって逃げる蛇レビヤタン  曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し   また海にいる竜を殺される。

詩編53:3
神は天から人の子らを見渡し、探される  目覚めた人、神を求める人はいないか、と。(新共同訳)

不思議な空でした。

 

今夕のご臨在 〜夕日の上の目

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2018.7.24撮影   あまり良く撮れていない

テモテへの手紙第一6:12
信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。