神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

シャカイナ グローリー 神の栄光の光を1

「彼らがわたしのために❶聖所を造るなら、わたしは❷彼らの中に住む。」~出エジプト25:8

この出エジプト記では、モーセ時代の❶幕屋(天幕)の中に聖所を造るなら、そこに神YHWHが❷彼らの中(あいだ)に住むと言っています。この天幕に、神の栄光の光(シャカイナグローリー)が現れました。

❷彼らの中とは、 וְשָׁכַנְתִּ֖י among them 彼ら(複数)のあいだに住むということです。つまり主がわれわれ(複数)のあいだに住まわれたのです。

 

「そのとき、❸雲は会見の天幕をおおい、❹主の栄光が幕屋に満ちた。

モーセは会見の幕屋に、❺はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の❹栄光が幕屋に満ちていたからである。」~出エジプト40:34-35

❸雲が天幕を外側から覆ってしまい、❹主の栄光シャカイナグローリー(光)が幕屋の中で満ちたため❺モーセであっても天幕の中へ入れなかった。

なんという強い臨在でしょう。

 

「イエスは彼に答えられた。『だれでも❻わたしを愛する人は、❼わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの❽父はその人を愛し、❾わたしたちはその人のところに来て、❿その人とともに❷住みます。』」~ヨハネ伝14:23

❻イエスを愛する者は、❼イエスの言葉を守り、❽父もその人を愛される。イエスと御父は、その人のところで、❿一緒に❷住むと言ってくださっています。モーセの幕屋のように、親しい友や家族のように❿ともに❷住んでくださるのです。ハレルヤ!強い神の栄光を、モーセの幕屋に見ましたが、❿ともに❷住む(kjvでは、We shall come to him and make Our abode with him:彼と一緒のわれわれ『御子と御父』の住居を造る)と言って下さっています。至聖所のシェカイナグローリーがわれらとともに現れ、主YHWHと御子が住まわれるのです。

 

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、『神の国は、見られるかたちで来るものではない。また「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。⓫神の国は実にあなたがたのただ中にあるのだ』。」~ルカ伝17:20-21

神の国は、われわれ(複数)のただ中に存在するのです。そのために聖所を造りましょう。それは、❻イエスを愛し、❼イエスの言葉を守り、❽父もその人を愛される。イエスと御父は、❿その人とともに❷住む住居を造ってくださると言っているのです。それは、ペンテコステの2階屋のような聖霊降臨であり、神の臨在であります。ここやあそこにある見える教会(建物)ではなく、聖徒たちが集うところどこでも、その真中に来られるのです。召会(エクレシア)とは建物ではなく、天幕のようにどこへでも移動する聖徒の集団なのでしょう。その聖徒とは、御霊に満たされイエスのことばを守る者たちです。

マタイ6:33「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」

マルコ12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 ✟ 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

✟第一の掟で、一体われわれは何をしたらよいのですか。聖書を一生懸命読みますか。奉仕をしますか。それでは神を愛すると言う意味で弱いでしょう。これは祈りや礼拝の姿勢について言ってるのだと思います。このみ言葉は、毎日の毎時間の祈りと礼拝の心を言っているようです。敬愛する師のエクレシアでは、まことに熱心に祈ります。本当にあの姿勢は勉強になりました。熱烈な雄たけびの祈りもときには必要でしょう。まず、神の国(ご臨在)と神の義(イエス=キリスト〜ピリピ3:9)を求め、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主YHWHを愛し、求め、礼拝することです。そこにシャカイナグローリーが現れます。「そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」

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