神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

葬儀で万歳する内村鑑三 FBより

  内村鑑三の長女ルツ子は、1911年実践女学校を卒業して、父が経営する聖書研究社の社員として働いていたが、難病を発症、1912年1月12日「もう行きます」という臨終の言葉を残し、17歳の若さで息を引き取った。
 告別式で内村は「今日はルツ子の葬儀ではなく、結婚式であります。私は愛する娘を天国に嫁入りさせたのです」と述べた。雑司ヶ谷の墓地に埋葬する際には、一握りの土をつかみ、その手を高く上げ、甲高い声で「ルツ子さん、万歳!」と大勢の参列者の前で叫んだと、後に東京大学の総長となった矢内原忠雄が伝えています。当時19歳の矢内原は、この叫びを聞いて雷に撃たれたような衝撃を受けたと言います。

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 葬儀の2カ月後、 内村鑑三大田区大森で講演しています。
演題は 「基督教と其信仰 ~イエスを友とするに外ならず~」

 イエスを友としてのみ人は歓喜と希望とを以て死ぬことが出来るのである、死は小事ではない、大事である、死は少数の不幸者にのみ臨む事ではない、何人にも来る事である、人は何人も平安を以て死を迎ふるの準備を為すの必要がある、彼は単独で死の河を渡らなければならない、其時医師も牧師も彼に何の用をも為さない、又哲学も宗教も彼の援助とは成らない、死の河を渡る時の唯一の伴侶、唯一の慰藉者(なぐさめ主)はイエスである、彼に携えられて死の旅行はさみしくないのである、イエスのみが現世と来世とにまたがる友人である、此人のみが無限の大海に乗出す時の唯一の水先案内である。(内村鑑三 「大森にて」 より(「聖書之研究」 第141号) 
 内村鑑三は、聖書だけにもとづく信仰を唱え、志賀直哉有島武郎正宗白鳥矢内原忠雄岩波茂雄など多くの若者に多大な影響を与えたキリスト教指導者でした。
 イエスを友とする者は、肉体の死を恐れることなどない。これは宗教ではない、イエスこそが今も、未来も、死んだあとでさえ 常にわれらに寄り添ってくれる友である。と語り、娘の「天国への凱旋」を垣間見、「万歳」と叫んだのです。
 

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。」Ⅰコリント15:55 ハレルヤ!

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