神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

イエスのあいさつは、いつもシャローム

イエスのあいさつは、いつも「シャローム」でした。直訳は「平和あれ!」です。

最近の政治家は、急に舵を切ってきています。アメリカとの集団的自衛権(軍事同盟)。今までになかった「力ずくの憲法解釈」。武器輸出が認められ、外国での戦闘行為もOKに。報道管制も感じられます。

戦争放棄の平和国家はどこへ行ったのか....

せめてクリスチャンは、第二次大戦の日キのように戦争を後押ししたり加担したりしないでほしい。イエスの愛された言葉は、「シャローム」だ。

祈りの中で20   ~剣と癒し FBより再掲
ある方たちとこの世のことで議論して、だいぶ霊性が落ちたので、かなり時間が必要だった。
朝というか寝ていないのだが、祈りの中で示されたこと3つ。
一つ目。イエスは、ユダヤ人が忌み嫌うサマリヤの女に声をかけ、福音書でも重要なカギになるような命の水について語られた。これは、選民意識の強いユダヤ人にとって常識外の行動であった。それでサマリヤの女さえ驚いた。これは、イエスが民族の壁を越えて困っている異邦人をも愛されたことを示している。
二つ目。示されたのは、イエスを殺そうととらえに来た大祭司のしもべマルコスの耳を剣で切り落とす場面である。...
ルカ22:49~51「イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」と言って、そのうちのひとり(ペテロ)が、祭司長の僕に切りつけ、その右の❶耳を切り落した。
イエスはこれに対して言われた、「それだけでやめなさい」。そして、その僕の❷耳に手を触れて、おいやしになった。」
イエスはここで、自分を殺そうとやって来た者(敵)を❷癒されたのである。マルコスは、イエスが公生涯で癒しの奇跡を行った最後の人になった。
そして、マタイ26:52には、
そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。」~という名言を残されている。
この場面は、4福音書に共通して残されている。現代も、イスラム過激派のような宗教を信じていると言って武器をもって襲ってくる不法の民がいる。そのような者に剣をもって立ち向かっても、彼らの❶耳を切ることになる。これは、剣で立ち向かうことによって、かれらが「福音に耳を閉ざす」ということだ。まさに空爆されて親族を殺された一般のイスラム教徒が、怒りに満ちISISに入るようなものだろう。
 ここでイエスは、自分を殺そうとしている者をさえ癒される愛を示している。この天国に生きる方は、ご自分の敵をも愛されたのだ。そして、福音の真髄をご自身で示され、十字架までも屠られる小羊のように黙って従ったのである。
三つ目。世人は、目先の物質界に目を奪われ、イエスの示された御国の福音が理解できない。だから牧師でさえも、テロリストに「地獄のような武器で」殺せ(なんとかグラハムが言っていた)とまで言うのだ。その様な者は、自分のこの世の命を愛しているこの世にだけ生きる者。国籍はこの世だ。天国からはほど遠い。天国の法則がわかっていないのだ。
「自分の命を愛する者は、それを 失うが、❸この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」 (ヨハネ 12章 25節)
かなりかたい食物だが、つまり❸この世での肉の命を憎むほどに神を愛し、愛の福音に従順であれ。それが永遠の命に至るカギだということだ。
 やはり、主イエスご自身の言動から示され、教えられる高い天の基準をここでも示された。狭き門だ。
 まだ世界中に天国に国籍を移せない剣を持ったクリスチャンがいて、福音宣教の躓きのもとになっている。仏教徒との語らいの中でもよく出てくる戦争好きで人殺しをするキリスト教国のはなし。本当に福音の真髄であるイエスの姿勢をわかっていないクリスチャンと自称するだけの人が多くいるのが残念だ。

この若者たちを戦場へ送りたくないのですが、この国の民が選ぶのは……

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