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神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

祈りの中で13   ~癒しの体験と天国への門   奇跡8 FBより

祈り 奇跡 癒し(ヒーリング) 十字架(殉教)

 昨日、いやもう一昨日になる。夜までかかった出張のあと、疲れて寝てしまい、祈りができなかった。朝には左肩のつけ根が痛く、肩がうまく上がらない。そのまま一日が終わり、やっと夜の祈りができた。その中で、肩の癒しを祈ったがきかれない。こころに映像が浮かぶ。何人かの職場の人たちだ。あまり快く思っていない者たちだ。わたしは、まず昨日入院した人のことを思う。あまり仕事をしないので心でさばき、愛していなかった人である。しかし昨年から具合が悪かったことを知り、私自身の狭い心を悔いた。意見が合わず反目する者もいる。腹に据えかねる者はまだ何人かいた。そこに光を当てられた。
 示されたみ言葉は、これだ。
「されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇(敵)を愛し、汝らを責むる(迫害する)者のために祈れ。...
 これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。」マタイ5:44-45
 天国の基準だ。何と高い基準だ。敵を愛せだって?実生活では同僚すら愛せない者が....しかし主の御命令は、「敵を愛せ」だ。
 ローマに蹂躙されたユダヤでは、不満を持ち肉親を殺された者もガリラヤ湖畔の山上に集まってきていた。その人たちの心はISのように復讐と憎悪で占められていた。それを霊視したイエスは、「汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず」と言われた後に、地獄に行くのが嫌なら憎悪を捨てて「仇(敵)を愛し、責むる者(迫害する者)のために祈れ」と言われた。
 天国の基準だ。憎悪を捨て、心を愛に満たさなくては、天国へは入れない。いや、憎悪を抱いて天国へ行っても、その人が憎悪に満ちていれば、もはや天国ではなくなる。
 最近いつも示されるのは、イエス様の言葉は直球でまさにその通りなのだ。われわれは、周りの環境に騙されてはいけない。荒れ狂う波を見て動揺してはならない。この世を十字架に架けるのだ。あなたを責める者のため祈れ、あなたの敵ですら愛しゆるせよと言われる十字架の愛。これを宣教の初めの山上の垂訓から死に際まで一貫して言われていたイエス。十字架上で「彼らを赦したまえ」と言われたイエス。われわれの頭ではなく、心で「敵を愛する」まで、父の愛に合一(シンクロ)しなければ、父の子になれない。ここに敵を愛する理由がある!父の愛にシンクロしとうございます。そうすれば「父(神)の子」となれるのです。アァメンです。
 祈りの中でこれを実践し、責める者のために祈りました。するとどうでしょう。左肩の痛みがすぐに消えて、まっすぐ天に向かって両手を挙げられるのです。ハレルヤ!不思議です!神の愛です!癒しの大家長尾先生も、いつも心に愛を満たすように言われていました。このマタイ5章44-45節は、一番実践の難しいかたい食物です。しかし、この奥義こそ天国への狭き門!入り口だったと悟りました!このみ言葉こそ天国への狭き門です!ここに門があったのです!感謝です!ハレルヤ!感謝です!ハレルヤ!感謝です!

「神の至聖所へようこそ!」

※ステパノの殉教と21人の殉教者(2015)

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