神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

💖ひとつの目を正しく訳した聖書は...FBより

   私の宝は、2冊の聖書です。特に最近手に入れたウィットネス・リー氏のライフワークによる「回復訳」は、すばらしい。以前に話したマタイ6:22ですが、今までの日本語訳の聖書は、「目が澄んでいれば」「目が健全なら」....と残念な訳ばかりでした。マタイ伝は、ヘブル(アラム)語を参考に訳すべきです。ἁπλοῦς=תְמִימָהとは?エホバの証人の新世界訳のほうが「目が純一であれば」と良い訳をしていました。しかし、「あなたの目が単一であるなら」の適訳をする聖書が出てきたのは、幸いなことです。その聖書は写真の回復訳です。註解(フットノート)もよく読み取っていてすばらしい。勿論もっともっと深い意味があるのですが、示されていることは同じだと思います。マタイ伝だけでも、この聖書のフットノートを参考とすべきです。
 フランシスコ会の「原文校訂による口語訳」も註解が良く参照箇所も丁寧で、一般的な聖書解釈を提示してくれるので参考になります。トビト記、ユディト記、マカバイ記上下、知恵の書、シラ書、バルク書が入り、全73巻が編纂されています。特に福音書などでもある後代に付け加えられた句(毒のようなもの)なども、丁寧に注で説明してくれているのはうれしいです。しかし、これも「目が澄んでいれば」と訳されています。
 生意気なことを言うと、文語、口語、新改訳、共同訳もそれぞれ趣きはあります。しかし、聖書は原文と一緒に見比べ「直訳」することが大切です。編者のこの世的な価値観での意訳のある聖書は、危険です。いつも「訳が違う!」と敬愛する師も嘆いていたが、やっと日本語でも読める聖書が出てきたようです。訳の違う聖書を読むことで、日本の教会は御国の力からほど遠く、小さく、苦しんでしまっています。どちらにしても聖霊の扶助により正確な訳の聖書を読むことで、イエスの語ろうとした真の奥義と御国の門である一つの目は開かれると思います。  

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