20代後半の夏、ELALでイスラエルに入り、現地で知り合ったドイツ人とイギリス人でゴラン高原に向かった。岡本公三のテルアビブ空港乱射事件以来、セキュリティーは日本人には厳しかった。ほんの少し死も覚悟してゴランへと向かった。草の生えた荒涼とする原野が続くと思うと、イスラエルの戦車や装甲車の部隊が、現れる。制空権のある彼らは、無防備に駐屯している。
レバノンの国境近くには、とっつきにくいイスラエル軍の国境警備隊と、緩衝地帯を守る青いヘルメットの国連軍がいる。しかし、国連軍はどう見てもイスラエル軍と一緒にいる。中立性を感じられない。メガネをかけた若い国連軍兵士に最近の戦闘状況を聴く。笑顔で、そこの自由レバノン放送局が空爆されたと語る。えっ?イスラエルの戦闘機がレバノンの放送局を空爆したのか?国境線に立つと、大きなパラボラアンテナのついた屋根が、何かにたたかれたようにヒシャゲた建物があった。まだ煙が出ている。
次にシリア国境に行く。壁に砲弾の貫通した丸い穴の無数にある建物が目についた。あれは、小学校だ。イスラエル軍は、あきらかにシリア領内を砲撃している。国連軍とは、緩衝地帯で双方の侵入を監視するのではないのか。
イスラエル軍機の他国への空爆は、頻繁に行われているのは、今ではみんなわかっている。相手のテロリストが迫撃砲を撃ったとか、あの放送局がうるさいとか。なんか理由をつけて、侵犯し攻撃し何十倍もの死者をだす。敵という相手はどんな連中か。見たことがない。
戦場では、強い方の論理がまかりとおって、好き放題に見えた。話し合いではなく、安直に人殺しをくりかえし、それを正当化する行為にしか見えない。
イスラエルは愛する国だが、だからと言って、公平さは失わない。贔屓はしない。ナチと変わらないようなことをする悪者はイスラエルにもたくさんいる。また、イスラエル人の中にもそんな隣国への攻撃を批判する者は、多い。
今夕から、PASSOVER。奇しくも主が十字架に架かられた金曜日。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分ではわからないのです」(ルカ23章34節)と今も祈っておられる。
閲覧注意 ↓イスラエル兵に撃たれた少女