神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

敬愛する師2 ~天を垣間見る体験

 師の話より:「私は幸いにも、許されて、幾度か❶来世の光景を垣間見る入神の経験がありますので、よくわかります。  **** 死は永眠というよりも、魂の覚醒です。それで、今までおごり楽しんでいた生活が、死によって大きく目覚めてみると、如何に自分が❷みじめで苦しいものであるかがわかるんです。無教会派では、「人間は信仰によってのみ義とされるのだ」と言って、私が「❸信仰と愛によって救われる」と言い出しますと、おまえは異端だと言って妙に攻撃される。教会を出て数年ぶりにX教会に行きますと、「バルト神学」と言ってM牧師は主イエスよりバルトを尊崇して説かれた。ゾッと身震いしたほどでした。 ****  信仰にとって大切なことは、向上一路の心構えです。自分の卑しさを知って、自分を空しくして、謙虚に学ぼう、向上しようとすることです。まず第一に必要なことは、柔軟心、❹幼児のように素直に、霊界の真理を直観すること。それと同時に、いつも自己の脱皮と❺魂の若い躍動を失わないように心がけねばなりません。」  ~以上~
 ❶天を垣間見、天で信仰の奥義を学ばれた師。天では、この世でどんなに富んでいても、地位があっても、その人はこの世のものをすべて取られ、丸裸にされるのですから❷みじめです。また心で思うことは、そのまま天の住人にわかってしまいます。ですから、自分が裸で何も良いものを持ってないことだけ示されます。各自で信じている主義や信念も、はぎとられます。それどころか、❸心の愛がないならそれもわかってしまいます。信仰だけで天に行けても、愛がなければ恥ずかしいことです。すべての真理が明らかにされるからです。
 かつて、この世である人々は、戦争を肯定したり、逆に戦争反対と言いながら機動隊に石や火炎瓶を投げました。また、ある人は同性愛者の結婚などを認める運動をして、配慮のある愛の運動であると信じています。しかし、どれも天では認められません。聖書では、そんなことを肯定はしていません。言うに及びません。
 それどころか、いつも「行いが伴わない信仰では、意味がない」「自分を十字架につけ死ぬべきだ」と言っていても、それはこの世で言うべきことであり、天では誰も言いません。天国ではあたりまえのことですから。また霊的な賜物をいただいていても、それらは天では普通です。あたりまえですが、神の恩寵であり、皆が与えられていることだからです。神に感謝することで、何も誇るものなどないのです。
 大人はものごとに固執し、自分の栄誉や自分の考えに心が占められる傾向が強い。ですから、隣人のことで本気で悲しんだりはしませんが、自分の存在や誇りのことで怒ったり悲しんだり落ち込んだりします。
 かたや❹幼子のように❸『神を愛する』がゆえ、自分の信念など持たずに神のみ旨をスーッと受け入れる心。❸『隣人を愛する』がゆえに困っている人・悲しんでいる人を見たら心配し、スーッと手を差し伸べる心。どちらも❸『愛』を基調とした情動的で自然な愛のふるまいのできる心が大切です。
 天では面前に神が居ます事実があり、真理も面前に明らかにされます。大人のように自分の思想や考えに固執する心は、邪魔です。
 天国で生きるとは、十字架で命のみならず「父よ、なぜお見捨てになられたのですか」と言いながらも十字架の死にまで従った主イエスのように、自分が必死に持ち続けているものを明け渡し、神の御心に従うこと=肉の死が必要です。そこには、自分の考えや言い訳、肉的な欲望、誇り、持ち物など不要です。
 少し最近の同性愛者の運動
について触れます。同性愛者に配慮し、それを擁護する者のことを言いましたが、同性愛自体、低レベルな肉の性欲を基調とした話です。そんなものに配慮も愛もいりません。男女の関係でも同じです。肉に死んでないから性に支配されているのです。肉に死んで天国の絶大なる喜びを受ければ、性的な喜びなど本当にちっぽけなものです。異性関係は天国にはありません。天の喜びを体験した者は、それらにたいして喜びを感じません。否、むしろ一日中ハレルヤが止まらないような『絶大なる喜び』に肉の欲も消え去るのです。キリストの花嫁とは、神と一体になる喜悦の体験です。真に聖霊体験した者は、皆アァメンと言うはずです。天国で必要なのは、アガペーの愛です。神の愛との同調です。聖霊様により神の心に合一する霊的な喜悦の体験です。これ以上の歓喜の体験は、この世にはありません。  

 主よ、私はあなたのみ前に、犬の糞のような存在です。何もありません。❹幼子のように、素直に直観し、ただ恩寵のゆえにあなたを愛し、十字架の死と復活に至る従順さを、あなたへの愛のゆえに貫徹させてください。もっともっと天の喜悦の中へとコンバージョンさせ、師のようにはっきりと天を垣間見させ、あなたの霊に合一し❺魂の躍動に打ち震える体験をさせてください。アァメン。 

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