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神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

ペンテコステ礼拝の体験 ~アッパールームへの導き 奇跡14

奇跡 祈り 礼拝 天国 聖霊 ことば(レーマ)

    今朝のペンテコステ礼拝では、賛美のあとの自由礼拝の最中に天から布が降りてきたように見えました。ああ、ペテロが見たものだ。その布(網)にすくわれたとき、200人近い礼拝者から歓声が上がっていました。みんな見えているのだろうか。ご臨在を感じているのだろうか。地球ごと世界中の人々が天にすくいあげられるように感じる。エルサレムのアッパールームに、行くように。朝も奇跡を、また午後も現実ありえない奇跡を見ることができました。毎日が、奇跡の連続です。感謝です!

聖霊体験)
 私は高校生まで米国南部バプテスト派の教会に通っていました。その礼拝は、短く1時間余で、讃美や祈りも週報に書かれたままのものでした。何か大切なことでの祈りは、指名されて祈るものでした。大学では、実家を離れ、単立の教会に通いました。また学内の聖書研究会に入部しました。そこには、私とは違ういつもとても喜んでいるクリスチャンの先輩がいました。何でこんなに喜びがあふれているのだろう。この方は、私の持っていないものを持っている。いつも不思議に思っていました。

 私は、ある日、勇気を出して先輩が通う教会へ寄せてもらいました。そこでは、私の通っていた教会とは違う形の礼拝、讃美礼拝が行われていました。この教会の人たちはみな輝いていました。ここでは聖霊を受けた人がたくさんいたのです。証しも奇跡の伴う大胆なもので、聖書の世界を見るようでした。

 それから半年間、聖霊を熱心に求めました。アンドリュー・マーレーや真理の回復の本を読み、機会があれば先輩の教会の青年キャンプや修養会にも通いました。正月の修養会でのことです。深夜の祈り会で祈っていると、どなたかわかりませんでしたが、ひとりの方が前に来て、突然按手をしたのです。すると天井に赤く燃える十字架が現れ、その火が自分に下ってくるのが見えました。火が腹に飛び込んで、身体がはじき倒されました。喜びと共に口からは異言があふれ、止まらなくなりました。その聖霊体験のすさまじさは、驚くばかりでした。自分で自分がコントロールできないような喜びと力を受けました。普通にしゃべることもできませんでした。その夜は、ベッドに入っても一晩中ハレルヤと異言が止まらず、身体が飛ぶというか、眠れませんでした。また、とてつもない天の喜びを感じました。修養会から帰ると、人格一変してしまった私を見て、友人や後輩が次々大学の聖書研究会に導かれました。そして受洗する者も次々と起こされました。
 しかし、困ったことに、聖霊を受けてから、今まで行っていた教会ではもう満足できなくなりました。霊の目が開け、ここは、まだ聖霊の満たしがないなぁと悲しくなるし、聖書が打ち開かれてないなぁとがっかりしてしまうのです。おまけに聖霊に導かれて、外国へも導かれ、共産圏に聖書を大量に持ち込んで配ったり(よく入れたものです)、命に関わるような導きに従っていました。実際につかまって、ひどい目にもあいました。

   今は、大学での先輩や後輩が同じような宣教を続けていることに感謝します。

 しかし、母教会には、馴染めない異端児になってしまいました。

 実家に帰っても、バプテスト派の礼拝の形式があまりに通り一遍で、自分は異言が出てきてしまうし、聖霊体験のことを聞いたこともないこの教会では、異端あつかいされると思いました。というのも、私を導いてくれた師も、聖霊体験のあと気狂い扱いされ、米国人のこの教会から追い出されていたからです。彼も御霊の導きで、沢山の不思議な奇跡を学生の私や家族の面前で見せる方でした。

 その後、師は、米国留学し、大学で教授としてキリストを教えています。わたしもこの教会で受洗しましたし、このような教会が悪いというわけではないのですが、実に日本でもキリスト教が爆発的に広がらないのは、この絶大なる聖霊の力を知らないクリスチャンが多いことにもあると思いました。私が、聖霊の顕現と聖書の奇跡のない教会にはなじめず、マクヤの関係に触れたのは、実に6つ年上のこの師によります。異端だカルトだとよばれていても、聖霊の火のある所ならどこにでも行きます。聖霊により、それが天からのものか否かは見分けられます。いつまでも尽きない火の燃える柴へ、その見ものを見に行くのです。

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