神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

敬愛する師8②-追伸~主は、背後から導かれる

 敬愛する師8で、ありありと顕われる奇跡力は、主イエスがともにいてくださったからだと思います~このことについてあとで説明すると言ったので説明します。

「アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、『わたしは全能の神である。あなたは❶わたしの前に歩み、全き者であれ。
わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう』。」(創世記17:1-2)

 アブラハムの召命ともいえる箇所です。❶主YHWHの前に歩み、全き者であれと主は言われる。主の前に歩むとは、主が背後から着いてこられるということだろうか。背後から主が語り、示されるところに行けという意味です。
アブラムは、このあと主よりアブラハムという名をいただき、多くの国民の父となることを約束されました。

「たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、❷あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。
また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、❸そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く。」(イザヤ30:20-21)

 イザヤに語られたことばです。❸その後ろから「これが道だ、これに歩め」という言葉を聞くと言われる。敬愛する師の召命時のみ言葉でもあります。
やはり❸背後からのみ声を聞き、支えられるのです。それも再び隠れることはないとおっしゃる。ハレルヤ!
 私がはじめて強く感じたのは、殉教の決意をした時でした。言葉では何とでも言えるが、ある方法で確認ができるのです。しかしその方法は残念ながら危険なので教えられません。しかし、最初にその確認ができたときに、幻が与えられ、主イエスのありありとしたご臨在が背後に迫りました。これは大変貴重な体験でした。その日以来このみ言葉はレーマ(現実に生きたみことば)となりました。しかし、今はそれにも慣れてしまったのか、私の信仰に力が足りないのか、はっきりと4人の天使が見えない情けない霊性になっています。

 主が顕著なはたらきを現される器の共通点は、御子イエスが❶❸背後にいるということです。確実にキリストが後ろにおられるのを体験し、第三者から背後にいるイエスを霊視された方もいます。
 主は、あなたの背後から語りかけています。主をいつも意識し、御声に従うことで驚くべき奇跡を見るのです。

 すでに、自分の子孫であるキリストを知っていたダビデの体験には、「❹主を前に置く」とか「❺右にいます」などの言葉が出てくる。常に幕屋で礼拝していたダビデは主を❹前面に意識し礼拝を捧げ、この世の生活では❺右隣りに意識している。より近い存在として❷師の存在から、家族や友のような存在になったのでしょうか。
 「わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。わたしは常に主をわたしの❸前に置く。主がわたしの❹右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」(詩篇16:7-8)
 こんな体験をわれわれも同じように感得したいものです。否、感じるはずです。これは、主イエスのすべての弟子に対する約束です。
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)と主がおっしゃっています。

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