神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

実際にある聖書史跡8 ~雲の柱 火の柱

出エジプト(Exodus)を導いた雲の柱、火の柱

出エジプト記13:21-22

「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。

昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった」。(口語訳)

 聖書の中の、わからない箇所の理解を一つずつ探り求め、理解することは、大切なことです。ユダヤ人は現実主義者です。ユダヤ教は、神と対峙するもので、神の取り扱われた民族の歴史を記述することは、誤記があってはならない大変神聖なことでした。 

 それで実際にあった史実や複数の歴史記録を確認しなければ、記録に残りませんでした。旧約聖書は、仏教などのような口伝の経典とは全く異なる、多くの人の批判眼を通して書かれた歴史書です。

 われわれ日本人は、仏教の影響か、ただありがたがって、どんなものなのか人なのか理解してもいない偶像や宗教家、坊さんにペコペコします。しかし、ユダヤ人はもともと疑い深く、使徒トマスが「復活したキリストの釘跡に指を入れ、槍で突かれたわき腹に手をさし入れなければ信じない」と言っていたような状況です。トマスは、ヨハネ伝20:25-27で復活したイエスに会い、傷跡に触って確認したのです。主イエスは「手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言っています。

 旧約聖書の記述も、口先で信じると言い、心で信じないなら他の宗教の「よくわからないから取りあえず拝んでおこう」と同じです。そんな信仰に意味はありません。

 具体性をもって理解することで、「信じる者」になるべきです。

ヨハネ20:25-27

25ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

26八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

27それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。(口語訳)

~盲信しろとは言っていません。実際に手を「差し入れてみよ」と言っています。

 よく、他宗教の方が「紅海が風で別れるなんて、ありえない」「箱舟なんて信じられない」と言いますが、実際にあった歴史の記録なので、われらの神は、それを説明できるような証拠も残しておられます。今までの記事「実際にある聖書史跡1~4」で語ったように、その史実を見ることができるのです。

では、イスラエルを導いた雲の柱、火の柱とは?どういうものか考察していきましょう。

【予想された現象から】

❶彗星

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❷竜巻と火災時の竜巻

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❸積乱雲による竜巻と落雷

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どれも雲の柱、火の柱に見えます。❶~❸から選ぶとしたら、どれだと思いますか?

❶彗星説

一部彗星説があります。イスラエル民族の出エジプト時に、昼も夜も現れる柱とすれば、❷彗星説が近いです。彗星が神のしるしとして現れ、それがイスラエル民族にエジプト脱出という大きな決断をさせたかもしれません。彗星は、昼と夜で色が変化することがあります。この説を説く方がいます。

❷竜巻説 ❸落雷説

しかし、エジプト軍の追跡に雲の柱が動いて間に入った(14:20)という記事もあり、❷竜巻説も捨てがたいです。葦の海を渡るときには「強い東風」が吹いていた(14:21)と書いてあります。大きな❸竜巻には、雷雲がつきものです。葦が燃え、火災が起きてもおかしくありません。それが火の柱になったのでしょうか。この説では、昼も夜も竜巻がずっと発生しつづける必要があります。その可能性は低いでしょう。また、いくら紀元前の人でも❸落雷を「火の柱」とは言わなかったでしょう。

う~ん。❶~❸だけでは、説明できません。

さて、下の写真は、火山噴火。こちらはどうでしょうか。

❹火山噴火

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❹火山噴火説

実は、火山噴火は、かなりの期間にわたり噴煙や火を出します。昼は「雲の柱」に見え、夜は火口のマグマを噴煙が映し「火の柱」に見えます。

イスラエルの民がたどり着いたのが、シナイ山ですから、ますます可能性が高まります。

出エジプト記19:18-19から、シナイ山が噴火していたことが見とれます。

「18シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた

19ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。」

煙と火と地震があったこと、噴火の音が神のラッパ(ショーファー)の音に聞こえたのでしょう。また、写真のように噴火に雷はつきものです。

 なるほど❹の火山噴火説がかなり有力になってきました。

しかし、エジプト軍の追跡に、「雲の柱も彼らの前から移って彼らのうしろに立ち」(14:19)という記事があります。雲の柱が移動したとは、どういうことでしょう。

 実は、シナイ山に向かっていたイスラエルの民は、葦の海でエジプト軍を滅ぼすために❺引き返(Uターン)しているのです。

出エジプト記14:1-2

1主はモーセに言われた、2イスラエルの人々に告げ、❺引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない

出エジプト記14:19-21

19このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らのうしろに行った。❻雲の柱も彼らの前から移って彼らのうしろに立ち20❼ジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、❽そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた。(口語訳)

 

Uターンで❺引き返せば、シナイ山の噴煙(❻雲の柱)は、背面に移ります。

しかし、❼雲が「エジプトの部隊とイスラエルの部隊との間に入った 」とある記事は説明できないですね。次を読みましょう。

21モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。(口語訳)

この時、すでに夜通し強い東風が吹いていた可能性があります。砂漠地帯で強風が吹くとどうなるでしょうか?砂嵐です。竜巻やつむじ風も起きたかもしれません。夜の砂嵐が黒い雲のようにエジプト軍とイスラエルのキャンプを覆ったので、❽そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれ(エジプト)とこれ(イスラエル)が近づくことなく、夜がすぎたのです。

※エジプトの砂嵐Khamaseen

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 あぁ、雲の柱と火の柱とは、火山噴火と砂嵐(Khamaseen)による、神のなされた奇跡なのでしょう。エジプト軍を海の中で滅ぼしたイスラエルの民は、その後荒野で不平を言いながらも噴煙を上げるシナイ山へ向かったのです。やっと理解できたような気がします。出エジプトを成功させるために、シナイ山の噴火は大事な出来事でした。

 

※極めて人間的に考察していますので、牧師さんが違う話をしていたら、そちらの可能性もあります。すべてを頭から否定する頑なな者(石の心)にならず、ご自分で広い視野で考えて下さい。

 一番 大切なことですが、この出エジプトの奇跡を起こした主に信頼し、主に従ったモーセの姿に学ぶべきです。当時最強のエジプト軍を相手に、イスラエル民族の存亡を賭けて、無謀と思えるU-ターンまでして、YHWHの神に信頼し従ったモーセの信仰は驚嘆すべきものです。その信仰が、エジプト軍からイスラエルを救い、主の栄光を現したのです。ハレルヤ!

Googlemap: Jabal al Lawz,Mt Sinai ~シナイ山には、Jabal MousaとJabal al Lawzの二つの説があります。

https://www.google.co.jp/maps/search/Jabal+al+Lawz+,+Mt+Sinai/@29.5752968,32.8923244,539097m/data=!3m2!1e3!4b1

 

実際にある聖書史跡4 ~今も見られるモーセの渡った海 - 神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

    イスラエルが宿営している場合に身近に現れた雲の柱について、以下の聖書箇所が気になるので追記します。

出エジプト記33:9
モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。

出エジプト記33:10
雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。(新共同訳)

     これは、宿営中のイスラエルの幕屋での場合です。身近に雲の柱が現れていました。この場合のヒントは、出エジプト記29章にあります。
29:41また、朝と同じく夕暮れにも、雄羊に穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を加え、燃やして主にささげる宥めの香りとする。

29:42これは代々にわたって、臨在の幕屋の入り口で主の御前にささぐべき日ごとの焼き尽くす献げ物である。わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。

29:43わたしはその所でイスラエルの人々に会う。そこは、わたしの栄光によって聖別される。(新共同訳)

    臨在の幕屋の入り口で、雄羊を焼き尽くす献げ物(燔祭)とすることで、わたしの栄光によって聖別すると言っています。

    つまり、イスラエルが移動せず、幕屋を張り宿営しているときは、幕屋の入口で火を焚き、雄羊を燔祭として献げていたわけです。29章から宿営中に雲の柱火の柱が身近に立った理由がわかるわけです。 その中から、主が語っていたということでしょう。

もう一つ、出エジプト記‬ ‭14:19‬に雲の柱とともに、神の御使いが現れています。

イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、」
‭‭出エジプト記‬ ‭14:19‬ ‭(新共同訳‬‬)

出エジプトの際、常時御使いが現れていたのなら、この不思議な雲の柱、火の柱も私の解釈をはるかに超えて存在していたのかも知れません。以上は、一つの考察として参考にしてください。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/08/21/043355