神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

トマスの福音書10② 〜光の中に来るとき

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トマスの福音書10節後半を訳します。

10  

* S a i d -J S10 this: This-heaven will-pass-away, and she-who-is-above her will-pass-away, and those-who-are-dead, they-live not, and those-who-live,
they-will-die not. > The-days you(pl)-were-eating what-is-dead, you(pl)-were-making it(m) that-which-lives; when you(pl)-should-come-to-be in-the-l-ight, what i s (it) you(pl)-will-do()? > On-the-day you(pl)-were one, you(pl)-made the-two; when, hwvr, you(pl)-should-come-to-be two, what is (it) which-you(pl)will-do()?

10直訳
J S10「イエスは言われた。この天は過ぎ去るだろう、そしてその上の天も過ぎ去るだろう。そして死んでいる者は生きず、また生きている者は、死なないだろう。日々あなたたちは、死んだものを食べていた、あなたたちは、それを生きるものとした。
 ❶あなたたちが光の中に来るべきとき、あなたたちは何をするだろうか。❷あなたたちが一つだった日に、❸あなたたちは二つになった。❹しかしながら、あなたたちが二つになるべきとき、あなたたちは何をするだろうか」。

「❶あなたたちが光の中に来るべきとき、あなたたちは何をするだろうか」~これは、永遠のいのちを得て、光の子となるとき、あなたがたは何をするだろうかと問うています。福音書にも同じような文があります。
 ヨハネ福音書12:36 「あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された」~これはイエスの天に上る前の遺言とも言えます。光の子どもとなるために、光であるイエスを信じることが求められています。
 またエペソ5:08 には、「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい」とあります。光の子どもらしく歩むとは、どういう歩みでしょうか。以下に説明が続いています。
エペソ5:09 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのですー5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。5:12 なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。『眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる』」あらゆる善意と正義と真実が光の実であり、明らかにされたものは光である。

瞑想の中で雲に上り、天国のフェンス(境界線)を見た人の話を知っています。

話より「天国は大きなモニターのような生前の罪を映すスクリーンの囲いがあって、近づくと自分の過去の罪を見、リアルに追体験するので、罪びとは心が痛くてこの囲いの中に進めず天国に入れません。しかし、イエス・キリストの御名を信じる者は、罪を赦されることを知っているので、スクリーンの間を簡単に通過できます。入っていくと、ものすごい光が中心から射してくるので、目が眩んで光しか見えません。しかし、天に入ったときに、(トマス福音書22節にもあるように)目と手と足が新しくされました。すると声がして、『あなたは、天の光に目が慣れないでほしい。地上の暗闇で、最も暗いところにいる人に福音を伝えてほしい。われわれは、暗がりがよく見えないからだ。』『最も暗いところにいる人とは、誰ですか?』『見てみればよい』~親類や知人を思い浮かべると、最も闇に包まれている人が現れました。それは、仏教寺院の女住職でした。その人に月刊誌を送るよう思いつきました。~敬愛する師は、この日本で伝道すべき人たちを知っていて、仏教神道にもとっつきやすい自らの群れ(体制)を作ったのです~すると、また声がしました。『あなたがたは地の光(=世の光)です。あなたがたの輝きは、最も暗いところを照らすこともできます。あなたがたのいるところで、私は暗闇の中のあわれな羊を見つけ出せるのです。そして救い出す用意をするのです』。伝道とは、イエス・キリストが、ひとり一人の罪の赦しのために十字架で死なれたことを伝えればいいのです。それを聴いた人は、死に際に、心ぼそくどうしようもなく救いを求めるとき、キリストの罪の赦しを思い出し、天国のスクリーンを通過できるのです。また、地上であなたが語るその言葉や証詞、教会での生活を、死んだ家族や親戚、代々の祖先の霊が今も見ています。そこで彼らも同じようにイエス・キリストの贖いの事実を知ることで、天国へ入る勇気が与えられます。十字架の贖いを信じて、罪の悔恨を涙とともに乗り越えて天国へ幼子のように罪も恥もあらわにして裸で神の前に行くのです。『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』使徒行伝16:31。こうして、感覚的には一瞬でしたが、気がつくと30分以上は経っており、しばらくは法悦(エクスタシー)が続いたのです。ハレルヤ!」
 ❶は、光が来たことで、光と闇の二つの領域ができ、光の子は闇を照らし、神様が、闇の世界で隠れている羊を探す手伝いをするのです。~(3年前(2013年当時)の経験であり、当時の日記から霊性の高さが甦り、今の忙殺されている自分が歯がゆいそうです)

「❷あなたたちが一つだった日に、」~ここで一つとなることのヒントは、ヨハネ福音書17:21にあります。ヨハネ17:21「 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです」。一つだった日とは、父なる神とイエスが一つになるように、信じる者たちも聖霊の光により同じ一つの心に照らされた日で、その日に「❸あなたたちは二つになった。」とは、この世が天国の光に照らされ、「光」と「闇」に分かれ、「救い」とともに「さばき」もやってきたことを指しているのでしょうか。

ヨハネ福音書「3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。*3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。」*「光=救い」と「闇=さばき」の二つは同時に存在するのです。
「❹しかしながら、あなたたちが二つになるべきとき、あなたたちは何をするだろうか。」
 光の子は、闇の領域に恥ずかしそうに逃げている魂を照らし、神様が、その魂を発見し光の世界に導く手伝いをします。それが伝道です。いや伝道というより、神の光(臨在)を届けるとでも言いましょうか、その臨在に触れると、罪人は悔い改め、泣きながら裸で生まれる赤子のように、神のみ前にそのまま出ればよいのです。神の光を届けるのがわれわれのなすべきことです。一生懸命声を嗄らせて宣教するのも欠かせないことですが、最も効果的なのは、神の臨在を届けることです。臨在の前に、罪人は赤ん坊が生まれ出たように、泣きながら裸で神の前に出る…それが新生であり、天で大きな喜びの歓声が上がる瞬間なのです!ハレルヤ!
 もう一つの解釈があります。それはイエスが十字架につく前に、一つの集団であった弟子たちの心が二つに別れたことです。すでにイスカリオテのユダの心は闇に走っていました。だから「❹あなたたちが二つに分かれるとき、あなたたちは何をするだろうか」と言っているとも理解できます。

10意訳

J S10「イエスは言われた。この天(大気圏)は過ぎ去るだろう、そしてその上の天(宇宙)も過ぎ去るだろう。そして(時は止まり)死んでいる者は生きず、また生きている者は、死ななくなるだろう。日々あなたたちは、死んだもの(魚や肉やパン)を食べていた、(しかし)あなたたちは、それを(わたしの肉と血、就ち、み言葉に従い父の御わざを成し遂げ、流した契約の血により永遠の命を受け)生きるものとした。
②永遠のいのちを得て、光の子となるとき、あなたがたは何をするだろうか。あなたがたが光の子となり、一つとなった日に、この世が光と闇に分かれ、救いとともにさばきもやってきた。しかし、あなたがたが光と闇に分かれたとき、あなたがたは何をするだろうか*(今一つの集団のあなたがたが、二つに分かれ、人の子が十字架についたとき、あなたがたは何をするだろうか)」。*括弧内は、別の訳もできたため記載しました。