夢を見ました。長尾先生のグループで、ある寺を訪れたのですが、住職がいろいろ説明をしていると、その際、床にお経を印刷した小さなパンフレットのようなものが落ちました。「大成・・?大聖・・?」と書いてあります。
その小さな紙を見た住職は、「これは目にすることもままならぬ経典だ」とさけびます。しかし、訪れていた者たちは、わたしも含め皆が持っているものでした。
そのあと、バスで一行が出発すると、住職は寺の屋根に立ってうやうやしく礼をし、見送っていました。確か 鎌倉のようなトンネルに近いお寺でした。
不思議な夢でした。いろいろ調べたのですが、その経典は、奈良時代に書写された賢愚経の一本、書道でいう「大聖武」(おおじょうむ)のようにも見えます。そういえば長尾先生は書道が好きでした。賢愚経は、自らの身体も惜しまない慈悲を現した物語を載せる経典であると知りました。
慈悲深き神は、まだ福音が届かない場所でも、永遠の命を求める者に語りかけることがあったのだと信じます。原始仏教も本来の釈迦の説いた教えも、今の仏教とは全く違う教えでした。釈迦は、神の声を聴いていたと思っています。それをあれこれ捻じ曲げてしまったのが今の仏教でしょうか。しかし、この世界を創った神は、太古より真摯に求める者に応えてきています。そう信じます。 (10月22日に見た ただの夢の話です)