神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

トマスの福音書18 ~見たことのないもの

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継続してトマスの福音書を訳し、解説しています。

18節

*Said-JS18 this: I-will-give to-you(pl) that-which--did-not-eye look upon-him, and he-who-did-not-e--ar hear-him, and he-who-did-not-hand tou--ch-him, and did-not-he come up on-the-mind18.1> of-man. >

18直訳

エスはこう言った。「わたしはあなた方に彼を❶見たことのない目と、彼を❷聞いたことのない耳と、彼に❸触れたことのない手と、❹人の心に来たことのない彼を与えるだろう。」

キーワードは、「❶見たことのない」、「❷聞いたことのない」です。この箇所を聖書で探しますと、マルコの福音書とⅠコリントが当たります。

マルコ4:11-12 

11エスは彼らに言われた、「あなたがたは、❺の王国の奥義を知ることを賜わっているが、外の人たちには、すべての事がたとえで語られる.

12それは、彼らが❶見るには見るがわからず、❷聞くには聞くが理解せず、立ち返って赦されることがないためである」。(回復訳)

Ⅰコリント2:9-10

9このように書かれているとおりです、「❶目が見たこともなく、❷耳が聞いたこともなく、❹人の心に思い浮かんだことのないものを、ご自身を愛する者たちのために備えてくださった」。

10はわたしたちに、❻その霊を通してそれらを啓示されました.その霊はすべての事柄、の深みさえも探られるからです。(回復訳)

マルコ福音書では、イエスが❺天国の奥義をたとえで語られる理由は、弟子以外が理解できないためと言っています。また、Ⅰコリントでパウロは、「❶目が見たこともなく、❷耳が聞いたこともなく、❹人の心に思い浮かんだことのないもの」と書かれてあると言っています。引用は、イザヤ64:4でしょうか。しかしそこには❶目❷耳の部分しか出てこないのです。パウロは、イエスの語録である初期の「Q資料(語録)」から引用しているのではないでしょうか。Ⅰコリントでは、トマスの福音書❶目❷耳❸手❹心のうちの❶❷❹について一致しています。

ここで使われている”him”を「彼を」と訳していいかどうか、わからないのですが、マルコ福音書なら「❺の王国の奥義」を指し、Ⅰコリントでは❻啓示する霊や、2:7にある「❼奥義の中の知恵、隠されてきた知恵」を指すようです。

Ⅰコリント2:7

7わたしたちが語るのは、❼奥義の中の知恵、すなわち隠されてきた知恵です.それは、わたしたちの栄光のために、もろもろの時代の前にがあらかじめ定められたものです.(回復訳)

では、一体「❺の王国の奥義」、「❼奥義の中の知恵、隠されてきた知恵」とは何でしょうか。

答えはコロサイ2:3にあるようです。

コロサイ2:3

「このキリストの中には、知恵と知識のすべての宝が隠されています。」

キリストの中に知恵と知識のすべての宝があるのですね。

実は、知恵と知識のすべての宝であるキリストについて、パウロはⅠコリント2章冒頭で説明しています。

Ⅰコリント2:1-2

1さて兄弟たちよ、わたしはあなたがたの所へ行った時、すぐれた言や知恵によって、❼神の奥義を告げ知らせたのではありません。

2なぜなら、わたしはあなたがたの間ではイエス・キリスト、しかも❽十字架につけられたこののほかは、何も知るまいと決心したからです。(回復訳)

パウロは、❼神の奥義は、すぐれた言や知恵によらないと言っています。❽十字架につけられたイエス・キリストのほかは、何も知るまいと言っています。とすると、「❺の王国の奥義」、「❼奥義の中の知恵、隠されてきた知恵」とは、「❽十字架につけられたイエス・キリスト」なのでしょう。

パウロは、そのあともう少し重要なことを言っています。

Ⅰコリント2:4-5

4そして、わたしの言もわたしの宣べ伝えも、知恵の説得力のある言によらないで、❾その霊と力の実証によりました.

5それは、あなたがたの信仰が、人の知恵の中にではなく、の力の中で立つようになるためです。(回復訳)

この4節の「実証」とは、すごい言葉です。キングジェームス訳には、demonstration

とあります。「❾その霊と力のデモンストレーション!」すごい言葉です。

パウロは、言でなく、まさにキリストの❾霊力のデモンストレーションをしてみせたと言っています。

And my speech and my preaching was not with enticing words of man's wisdom, but in demonstration of the Spirit and of power:(KJV)

ここでの隠された奥義は、「❽主イエスの十字架」であり、パウロは知恵の言葉でなく「❾その霊と力のデモンストレーション」をやっているんだ!と言っているのです。

使徒行伝19章には、当時のパウロの姿が書かれています。

11パウロの手を通して、並はずれた力あるわざを行なわれた.

12例えば、パウロが身に付けていたハンカチやエプロンなどを取って、病人にあてると、病気は彼らから去り、悪霊は出て行くほどであった。(回復訳)

今の日本のキリスト教も、この隠された奥義にシフトされてきています。われわれも、この「隠された奥義=十字架のイエス」を知ることにより、「キリストの霊と力のデモンストレーション」を大胆にやっていこうではありませんか。パウロの宣教の奥義は、まさに、「神の国は、ことばにはなく力にある」ことの実証なのです。ハレルヤ!

18意訳

エスはこう言った。「わたしはあなた方に今までに❶見たことのないもの、すなわち神の奥義(=十字架のイエス)を見る目と、今までに❷聞いたことのないもの、すなわち神の奥義を聞く耳、今までに❸触れたことのないもの、すなわち神の奥義に触れる手、今までに❹人の心に来たことのないもの、すなわち神の奥義を知る❻啓示の霊を心に与えるだろう。」 

十字架のイエスこそ、神の奥義そのものです。