神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(神の至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

祈りの中で76 ~祈りの真髄SS5

現代のキリスト者の祈りには、食前の祈りのような、形式的であっという間の短い祈りや、心の中で考えるだけの祈りなど、いろいろなものがあります。また、異邦人のように題目を繰り返すような祈り(マタイ6:7)もあります。

サンダー・シングは、「キリストについて知ること、キリストを知ること」の中で、ヨハネ伝より次のように語っています。

イエスは、ご自分を信じたユダヤ人に言われた、『もしあなたがたが、わたしの言の中に住んでいるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子である.またあなたがたは真理を知る.そして真理はあなたがたを自由にする。』」(ヨハネ8:31-32)「命を与えるのはその霊である.肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ6:63)回復訳

真理とは何でしょうか。真理は教義でも教理でもなく、イエス・キリストご自身であります。真理は本の中に見つかるものではありません。確かに、書物の中には良いものがたくさん見つかるでしょうが、そのどれひとつとして、あなた方を自由にすることはありません。キリストだけが、私たちを自由にしてくださるのです。私は、真の宗教を見つけようと努めてきました。ヒンズー教を試みましたが、イエス・キリストの中にのみ、私は平和を見ることができました。あなた方は、この世のことの中に平和を見つけようとしていますが、それを得られるという確証は、どこにあるのでしょうか。どこにもありません。私たちは、キリストによって、この世界の中で自由にされるのです。ヒンズー教は、生きるキリストを私たちに与える事はできませんでした。今の私は、天においてキリストと共に生きることを予期していますが、天は、この地上に始まるのです。霊魂が神に触れ、私たちが主の臨在を実感するときに、天国とは完全なる霊魂の平和であることが理解されるのです。その時にこそ、地上天国が始まるのです。(まだ私がキリストを信じる以前に)イエス・キリストについて話を聞かされていた頃の私は、常にキリストを憎んでいました。私を癒すものは見つかりませんでした。

キリストに満ち足りていないクリスチャンが多くいます。それは、彼らがキリストを知らないからです。しかし、キリストは真理であり、その真理が私たちを自由にしてくれるのです。私たちは、生けるキリストを通して誘惑に打ち勝ち、サタンを倒す力を得ることができます。それは、本や説教を通してではありません。祈りを通してです。毎日、最低何分かは祈りに費やしなさい。主の中に生きなさい。主は真理です。真理は私たちを自由にしてくれます。私は、人間の作り出した多くの偉業を見てきました。人は空を飛び、機械や電気を操ることができるかもしれません。しかし自分自身の体の欲望は制御できずにいます。自然界を治められても、自分自身を治められずにいます。」~   以上  〜

主のご臨在こそが救いです。ご臨在が感じられるような祈りでありたいです。       

主イエスがゲッセマネで祈ったように、汗が血のしずくのように流れるまでの祈りを見たことがあるでしょうか。

イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた.汗は血のしずくのようになって、地にしたたり落ちた。」(ルカ22:44)回復訳

「このは、肉体にあった日、激しい叫びと涙をもってを死から救うことのできるに祈りと嘆願をささげ、そして敬虔のゆえに、聞き入れられたのです.」(へブル5:7)回復訳

イエスの祈りの中で、死んで4日も経つラザロを蘇らせる祈りがあります。そこにも不信仰に対する憤りや涙を流すイエスの姿があります。

イエスは彼女が泣いているのと、彼女と一緒に来たユダヤ人が泣いているのを見て、霊の中で憤りを覚え、憂えて言われた、「あなたがたは彼をどこに置いたのか?」。彼らはに言った、「よ、来てご覧ください」。

イエスは涙を流された。そこで、ユダヤ人は言った、「見よ、何と彼を愛しておられたことか!」しかし、彼らのある者は言った、「盲人の目をあけたでも、この人を死なないようにすることはできなかったのか?」そこで、イエスは再びご自身の内で憤りを覚えて、墓に来られた。それは洞穴であって、それに石が置かれていた。イエスは言われた、「その石を取りのけなさい」。死んだ者の姉妹マルタがに言った、「よ、もう臭くなっております.四日もたっていますから」。イエスは彼女に言われた、「あなたが信じるならの栄光を見ると、わたしはあなたに言ったではないか?」そこで、彼らはその石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた、「よ、あなたわたし願いを聞いてくださったことを、あなたに感謝します。わたしは、あなたがいつもわたし願いを聞いてくださることを知っていました.しかしわたしは、周りに立っている群衆のためにこう言いました.それは、あなたわたしを遣わされたことを、彼らが信じるためです」。はこれらの事を言って、大声で叫ばれた、「ラザロよ、出て来なさい!」すると、死んでいた者は出て来たが、手足は布で包まれ、顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた、「彼をほどいてやって、行かせなさい」。(ヨハネ11:33-44)回復訳

主イエスのように、こんな涙を流す祈り心をもって、天父に聞き入れられる執り成しの祈りをすることができる人はいるのでしょうか。

大川牧師の祈りには、天に通じる熱心が年輪のように積み重ねられていることがわかります。わたしもこんな祈りの人になりたいです。Shareさせてください。

https://www.youtube.com/watch?v=MbdPmbVUC7U