神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

トマスの福音書21 ~いのちの木

継続してトマスの福音書を訳し、解説しています。

21節

* Said-JS21 this: A-blessed-one is-he who-came-into-being from-the-beginning, before-he-came-to-be. > If-you(pl)-should-come-to-be to -me disci-ples, &-you(pl)-listen to-my-words, these-sto-nes will-become-servants to -you(pl), > (for) have-you(pl),(---), there five trees in-para-dise which()move not summer (and?) winter, and do -not-their-leaves fall down. > He-who-will-know-them, he-will-take-taste not of-death.

 

21直訳 

エスはこう言った。❶彼が存在した前に、始まりからずっと存在していた者は、幸いである。もし、あなたがたがわたしの弟子になるなら、またあなたがたはわたしの言葉を聞くなら、❷これらの石はあなたがたに仕えるものとなるだろう。というのはあなたがたは(原文欠落)、❸パラダイスには、夏も冬も動くことのない❹五本の木がある。そして木の葉は落ちない。彼はそれらの木を知るだろう、彼は❺死を味わうことがない。

 

この節は、19節で弟子たちがイエスに、「我々の最期を話してくれ」と尋ねたことに対する回答であり、20節の続きであります。

20節

「イエスはこう言った。あなたたちは、まず始まりを解き明かしたことがあるか。あなたたちが終わりを探しているように。というのは、始まりのあるところに、終わりも来るからだ。祝福された者、彼は自分の足で始めに立つだろう。そして彼は最期を知るだろう。そして彼は死を味わわないだろう。」

 

❶彼が存在した前に、始まりからずっと存在していた者は、幸いであるとは、イエスのことです。主イエスは、紀元元年に肉体をもって生まれましたが、それ以前に神の子として創世(始まり)に立ち会っていたと言われます。ですから、人の子は祝福された者だと言っています。また、その弟子も祝福されるのです。

 

難解な21節のキーワードは、「❷これらの石」、「❸パラダイス」の「❹5本の木」、❺木を知る者は死を味わうことがない=「❺いのちの木」と言ってもよいでしょう。

まず「❷これらの石」は、マタイ24章で神殿の最期について語ったところに出てきます。この箇所は、弟子たちが自分たちの最期について尋ねた箇所とも一致します。

 

マタイ24:2しかし、エスは彼らに答えて言われた、「あなたがたは、❷これらすべてのものを見ないか? まことに、わたしはあなたがたに言う.❷一つの石も崩されずに、他の石の上に残ることは決してない」。

 24:3 イエスがオリブ山に座っておられた時、弟子たちはひそかに彼の所に来て言った、「わたしたちにお話しください.いつ、これらの事があるのですか? また、あなたが来られることのしるしと、この時代の満了のしるしは何ですか?」

 

ここでの「❷これらの石」とは、エルサレム神殿を形づくる石です。しかし、イエスの預言通り、紀元70年にはローマ兵によって崩され、金の被膜を溶かすため焼かれた神殿の石です。「❷これらの石はあなたがたに仕えるものとなるだろう」とは、以前書きました、神殿の聖なる「❷石」=「神の臨在」があなたがたに仕えるものになるだろうと言っているのでしょうか。これは、体験した者ならわかるはずです。祈りの中で強いご臨在に入ることが可能になるのです。説明しづらいのですが、ヤコブが天の梯子を見たように、天に出入りする梯子やヤコブが言った天の「神の家」(ベテル)、「天の門」を指すのかもしれません。「❷石」が「臨在」に関係することについて詳しくは、創世記28章から、以下に説明してあります。

💛レーマを読み解く5 ~家造りの捨てた石とは - 神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

次に「❸パラダイス」の「❺いのちの木」が創世記にあることは、皆さん気が付くでしょう。しかし、同じような季節に関係なく枯れることのない木は、黙示録にも出てくるのです。「❺いのちの木」は、聖書の最初(創世記)と最後(黙示録)に出てくるのです。

黙示録21:10~天から来たエルサレムに「いのちの木」が出てきます。

「21:10そして彼はわたしを霊の中で、大きな高い山へ連れて行き、聖なる都エルサレムが天から出てから下って来るのをわたしに見せたが、・・・・

22:1また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。それは小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。22:2その川のこちら側にも向こう側にも命の木があって、十二の実を結び、その実は毎月みのりその木の葉は諸国民のいやしのためにある。」

また、エゼキエル47:12には、同じような箇所があります。

「47:12川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」。

 

パラダイスの木とは、新しいエルシャライムに植わっている、夏も冬も枯れることのない、十二の実を毎月結ぶ「❺いのちの木」です。他の箇所で、イエスご自身は、ご自分を「❻いのちのパン」と言っています。永遠の命を受けることのできる「木」と「パン」。同じものを指しているのでしょうか。木は❸五本あるようです。5千人の給食では、❻パンは五つあったのです。それぞれの特徴を考えてみましょう。

 

❺「いのちの木」:1.新しいエルシャライムのいのちの川の両岸にある。

         2.夏も冬も動かない常緑樹

         3.12の実を毎月つける

         4.木の葉は諸国民の癒す薬になる. 

 ❻「いのちのパン」1.のパンとは、天から下って来て、世に命を与える

         2.わたしが命のパンである.わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしの中へと信じる者はいつまでも決して渇くことはない

         3.だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きる

         4.わたしが与えるパンはわたしの肉であり、世の命のために与えものである (ヨハネ6:33-51)

 

21節を意訳します。

21意訳

エスはこう言った。生まれる前より、創世の始まりからずっと存在していた人の子(イエス)は祝されている。もし、あなたがたがわたしの弟子になり、あなたがたがわたしの言葉を聞くなら、これらの神殿の石は、あなたがたに仕えるものとなるだろう。すなわち、神のご臨在があなたがたに現れるようになる。というのはあなたがたは(原文欠落)、パラダイスには、夏も冬も枯れることのない五本の木々が植わっている。そしてそれらの木の葉は落ちない。それらの木を知る者は、死を味わうことがない。

 

※難解ですが、何となくイメージできます。パラダイスには季節があり、パラダイスの木は、葡萄の木だと説明する方がいます。しかし、私的な思い込みかもしれませんが、パラダイスの木は、枇杷のような冬でも葉を茂らせた常葉樹だと思っています。事実、枇杷の葉療法は有名です。枇杷の葉に癒しの力があるのは、昔から知られています。実家には葡萄の木も枇杷の木もありますが、葡萄の葉は木枯らしの吹く前にはすっかり枯れます。しかし、枇杷は冬の今も葉を茂らせているのです。

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