神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

祈りの中で 96 〜キリストの血潮に繋がる ぶどうの枝

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※自宅の葡萄 昨年撮影

祈りの中で、キリストの十字架が見え、そこから枝が伸びて自身に繋がる幻を見ました。その枝から、主イエスの血潮が流れ込んでくるのです。そして枝は私の父母や家族や近しい者に繋がって伸びていくのです。天に宝(心臓)を預けた私の身体に主イエスの霊(血潮)が流れ込んでくるのです。ハレルヤ!

15:5 わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人が❶わたしの中に住んでおり、❷わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実を結ぶ.わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。
15:6 わたしの中に住んでいない者は、枝のように投げ捨てられて枯れてしまう.人々はそれを集めて、火の中に投げ込むので、それは焼かれる。
15:7 あなたがたが❶わたしの中に住んでおり、❸わたしの言葉があなたがたの中に住んでいるなら、❹何でも望むものを求めなさい.そうすれば、それはあなたがたにかなえられる。ヨハネ15:5-7(回復訳)

❶わたしの中に住むとは、主のご臨在の中に浴することなのでしょう。「住む」とは、家に帰るような感覚です。学校や仕事から毎日帰ってくる住処のように、毎日神のもとに帰り、そこで長い間とどまることです。

❷「わたしもその人の中に住む」とは、❸「わたし(=イエス)の言葉があなたがたの中に住む」ことです。それは、御言葉をたくさん読み、暗記することでしょうか?それも有用です。

ヨハネ6:63には、「命を与えるのはその霊である.肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った❺言葉は霊であり、命である。」とあります。イエスが語った❺言葉は霊であり、命であり、ただの印刷された言葉ではなさそうです。

また、第1コリント15章には、次のように霊と命について書いてあります。

15:45 そこで、「最初の人、アダムは、生きた魂と成った」と書かれていますが、最後のアダムは、❻命を与える霊と成ったのです。
15:46 しかし、霊のものが最初ではなく、魂のものが最初であり、それから霊のものが来ます。
15:47 第一の人は地から出て、土に属し、❼第二の人は、天から出ています。
15:48 土に属する人に、土に属している人々は同じであり、天上に属する人に、天上に属している人々もまた同じです。
15:49 わたしたちは、土に属する人のかたちを帯びているのと同じように、❽天上に属する人のかたちをも帯びるようになります。(回復訳)

❸わたしの言葉が住むとは、イエスの霊であり、命が住むことなのでしょう。
また、❻命を与える霊とも書かれています。❼最後のアダム(=イエス)は、天からの出自です。
わたしたちは、❽天上に属する人のかたちを帯びるようになるべきです。まとめると、

❶神の中に住むとは、 Ⅰ.いつも主のご臨在の中に浴すること。

❷神があなたがたの中に住む=❸わたしの言葉が住むとは、Ⅱ.命を与えるイエスの霊が心に住み、御言葉に従えるようになること。

御言葉に従うことについて、第1ヨハネには、こうあります。

「『わたしは彼を知っている』と言いながら、彼の戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人の内にありません.
しかし、だれでも彼の言を守っているなら、その人の内で、真に神の愛が全うされているのです。それによって、わたしたちは、彼の中にいることを知ります。
彼の中に住んでいると言う者は、彼が歩かれたように、自らも歩くべきです。」Ⅰヨハネ2:4-6(回復訳)

そして、わたしたちは、Ⅲ.❽天上に属する人のかたちを帯びるのです。

Ⅰ.ご臨在の中で、Ⅱ.命を与える霊に満たされ、主の御言葉に従って生きることが、Ⅲ.天上人のかたち(特性)なのですね。

そうすれば、❹「何でも望むものを求めなさい.それはあなたがたにかなえられる」と言っています。ハレルヤ!「何でも」ですよ!幹に繋がり、外側はご臨在、内側は命を与える霊に満たされるなら、主の御声に聴き従えるようになります。そして、天国に生きる天上人のかたちになりたいです。

エホバの中で喜び楽しみなさい。はあなたの心の求めるものを与えてくださる。」詩篇37編4節(回復訳)