神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

トマスの福音書24③ 〜手足を天へ

トマスは、インド宣教をし、達磨(トマ)として伝えられたという話を聞いたことがあります。トマスの福音書は、市販の聖書には入っていない外典です。しかし、福音書の原型である「イエス語録集」であるとも言われています。序文には「だれでもこれらの言葉の意味に行きつくなら、彼は死を味わうことがない」と説明されています。

 継続してトマスの福音書を訳し、解説しています。 原文は古いコプト語ですので、表示できません。英訳したものを載せます。24節の後半を体験することは、この世から遊離する危険が伴うかもしれません。殉教の心を持って、体験してください。後半を解説します。

24節

> Did-JS24 look at-some-little-ones ()taking-milk. > Said-he to-his-disciples this: These-little-ones who-take-mil-k, they-compare to-those-who-go in to-the-king-dom. > Said-they to-him this: then, ()being little-ones, we-will-go into -the-kingdom? > Said-JES2 to-them
this: when you(pl)-should-make-the-two one, and if-you(pl)-should-make-the-side-inner like the-side-outer,and the-side-outer like the-side-inner, and the-side-upper like the-side-lower, > and so you-(pl)-will-be-making the-male and-the-woman that-one alone, so that not-the-male become-male, (nor)-the-woman become-woman; > when you(pl)-should-make some-eyes to-the-place of-an-eye, and a-hand to-the-place of-a-hand, and a-foot to-the-place of-a-foot; an-image to-the-place of-an-image, then you(pl)-will-go into - the-kingdom.

24直訳

「❶ミルクを飲んでいる、数人の者たちを見なさい。彼は、弟子たちにこう言った。:ミルクを飲むこれらの小さな者たちは、❷王国に行く者たちに比べられる。彼らは、彼にこう言った。:それでは、❶小さな者たちになれば、わたしたちは王国に入れるでしょうか?イエスは、彼らにこう言った。あなたがたが、❸二つを一つにするとき、そして、もしあなたがたが❹内側を外側のようにするならば、そして❺外側を内側のように、そして❻上側を下側のように、そしてあなたがたは❼男も女もただ一つにするだろう。それは、男が男性にならず、女が女性にならない。;

もしあなたがたが、❽いくつかの目を❾一つの目の場所に作るなら、24③そして➓一つの手を一つの手の場所に作るなら、⓫一つの足を一つの足の場所に作るなら;⓬一つのイメージを一つのイメージの場所に作るなら、そのときあなたがたは、王国に入るだろう。」

この節のキーワード、「目」「手」「足」が、聖書の中のマタイ伝18章に一度に出てきます。

「18:3言われた、「まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが転機して小さい子供のようにならなければ、決して天の王国に入ることはない。
18:4 だから、この小さい子供のようにへりくだる者が、天の王国で一番偉いのである。
18:5 だれでもわたしの名のゆえに、このような小さい子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのであり、
18:6 わたしを信じるこれらの小さい者の一人をつまずかせる者は、大きな石うすを首にかけられて、深い海に沈められるほうがましである。
18:7 この世は人をつまずかせるから、災いである! つまずきが来ることは避けられない.しかし、そのつまずきをもたらす者は災いである。
18:8 もし、あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切り取って捨てなさい.両手両足を持ったまま永遠の火の中に投げ込まれるよりは、❿片手⓫片足で命に入るほうがよい。
18:9 もし、あなたの目があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい.両目を持ったまま火のゲヘナに投げ込まれるよりは、❾片目で命に入るほうがよい。」(回復訳)

 トマス福音書24節は、マタイ伝18章の内容と同様に、幼な子の譬えの後にひとつの「手」「足」「目」が出てくるのです。マタイ伝では、 五体満足でゲヘナへ落ちるよりも、片手、片足、片目であっても命に入る方が良いと言っています。24節での 一つの目、一つの手、一つの足の話しは、マタイ18章からの続きと見ることもできます。つまり「あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切り取って捨てなさい」の後で、自分をつまずかせないもう一つの手、足、目の方について語っているようです。続きとすると一つの目(片目)、一つの手(片手)、一つの足(片足)の場所とは、永遠の命=天国を指していると解釈できます。つまり「➓一つの手を一つの手の場所に作るなら」とは、「➓片手を片手の入るべき天国に作るなら」と解釈できます。

 「 ⓫一つの足を一つの足の場所に作るなら」は、「⓫片足を片足の入るべき天国へ作るなら 」となります。「そのときあなたがたは、王国に行く」のです。

マタイ18:9には、「目(複数)があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい.両目を持ったまま火のゲヘナに投げ込まれるよりは、❾片目で命に入るほうがよい。」と言っています。我々の目は、この世のものにとらわれ、それを見つめます。たとえば、宝石店のジュエリーを見ると、輝く宝石に魅了される女性は多いはずです。エバが善悪を知る実を見て、魅了されたように、我々の目が見つめる対象に魅了されます。天国を見るのであれば、天国のすばらしさに魅了されることでしょう。しかし、この世の物を見つめて、それに魅了されるなら、天国は見えなくなります。その暗さはどんなでしょう。我々の心の目を天に向けるべきです。

では、➓片手、⓫片足を天国に作るとは、どうすればいいのでしょう?「あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切り取って捨てなさい」〜の後で、自分をつまずかせないもう一つの手足で命(天国)に入れということです。つまり、あなたを罪に定めない義の手、義の足です。そんな素晴らしい手足がほしいですね。そんな罪を犯さない手足はどうすれば作れるのでしょう?

誰でも思いつきますね。

ガラテヤ2:20 「わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。」(回復訳)の通りです。

回復訳は、流石だなぁ。

義の手足とは、主の手足です。十字架上の主の手の場所にあなたの片手を釘づけ、十字架上の主の足の場所にあなたの片足を釘づけるのです。あなたの手足は、主と共に死に、主の手足が復活するのです。神の御子の信仰の中で復活した主の手足と共に天国に生きるのです。

またヘブル書などには、こうあります。

ヘブル10:19「こういうわけで、兄弟たちよ、わたしたちはエスの血によって、大胆に至聖所へ入ります.
10:20 それは、がわたしたちのために、の肉体である幕を通して、新しい生きた道を開いてくださったからです.」(回復訳)

エペソ2:15 「数々の規定から成っている戒めの律法を、の肉体の中で廃棄されたからです.それは、がご自身の中で、二つのものを⓮一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、」(回復訳)
ガラテヤ6:15 「割礼も無割礼も重要ではありません.重要なのはただ⓮新創造です。」(回復訳)

キリストの裂かれた肉体を通って、至聖所へ行くのです。それは、あなたの手足をキリストの肉体と一つにし、神に聖別し、⓮一人の新しい人へと創造してしまうのです。
ヨハネ伝10:9 わたしは門である.だれでもわたしを通って入る者は救われ、また入ったり出たりして、牧場を見いだす。(回復訳)

 

24③意訳
❶ミルクを飲んでいる赤ん坊たちを見なさい。イエスは、弟子たちにこう言った。:ミルクを飲む赤ん坊たちは、❷王国に行く者たちのようだ。弟子たちは、イエスにこう言った。:それでは、❶赤ん坊のようになれば、わたしたちは王国に入れるでしょうか?イエスは、彼らにこう言った。あなたがたが、ユダヤ人と異邦人の❸二つをキリストにあって一つにし、⓮新しく生まれた新創造された者になるとき、そして、もしあなたがたが赤ん坊が母親に抱かれるように❹内側の聖霊が外側のご臨在に抱かれるならば、そして母と子が一つのように❺外側の神の霊が内側の聖霊と一つになり、そして❻天国が地上に来るようにせよ、そしてあなたがたは❼男も女もなく、御使いのようにただ一つになるなら。(天には、男性も女性もないからだ)

24②もしあなたがたが、この世に向ける❽いくつかの目(視線)を❾一つの目の場所(天国)に向けるなら、つまりミルクを飲む赤ん坊が母だけを求め、母を見つめるように。24③そして目だけでなく、➓片手を主の十字架上の手に重ね、復活の主と天国に創造するなら、⓫片足を主の十字架上の足に重ね、復活の主と天国に創造するなら;24④⓬一つのイメージを一つのイメージの場所(天国)に創造するなら、そのときあなたがたは、王国に入るだろう。 

 『隻手の声』

一つの手には、また違った解釈があります。それは、「隻手の声」です。白隠禅師が語っていた悟りです。白隠が弟子たちに質問したものです。「隻手(片手)声あり、その声を聞け」 (大意:両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。)と言っていました。瞑想の中で、その「声なき声」を聞くことです。神の世界を「見る、聞く」ことです。その声は、天が開けば、瞬時に聞こえます。一拍の拍手のように、瞬時です。瞬時の声です。そして、一瞬のうちに多くを知るのです。白隠禅師は、そこまで到達したのですね。

さらに、もう一つ付け加えるなら、キリストが禅問答をしたら、「隻足道あり、その道に入れ」と言われたことでしょうね。われわれは、声だけで満足せず、もう一つ先の天界へ入るのです。行くのです。隻眼で見、隻手を聞き、隻足で入るのでしょう。

 

※説明が長くなったので、24④に続きます。いよいよ、体験がともなう佳境です。

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敬愛する師3 ~祈りは、瞑想のうちに天父の臨在に会うこと - 神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~