家族で石巻を訪問しました。仕事の関係で、かねてから気になる場所でした。なぜ、避難ができず多くの犠牲者を出したのか。
大川小学校
校舎は、北上川河口から4km上流の土手の下にありました。復興道路をたくさんのダンプカーが行き交う中、廃墟となった校舎が静寂の中にたたずんでいます。
8mを超える津波により全校生徒108人中74人と教職員13人中10人が死亡または行方不明となったのです。津波が近づいていることを広報車が知らせた後に、裏山へ避難していればみんな助かったはずでした。彼らは、裏山へは行かず、周囲の堤防より小高い新北上大橋のたもとを目指しましたが、堤防を越える高さの津波にのまれたのでした。案内してくれた運転手さんの親戚の子も二人亡くなったと言っていました。
海抜1m余に位置する二階建て校舎も、屋根まで津波にのまれました。廃墟となった校舎は、時が止まっています。
あたりを取り囲むこの重い雰囲気は、何だろう。やるせの無い死を受け入れられない、たくさんの魂の声が「どうして?」と言っています。
門脇小学校
石巻湾から近い門脇小の全校生徒は裏山へ避難し、迎えに来た保護者も裏山へ登るように教職員が誘導しました。三階建の校舎は、屋上まで波に沈みましたが、全員が裏山に避難し助かりました。校舎は震災遺構となり、保存のため整備されています。
しかし、門脇の海沿いの住宅は流され、非可住地になっており、校舎の周りはたくさんの墓に囲まれています。
石巻では、幽霊が多く出ると聞きます。死後のことなど考えたことのない人々が、津波にのまれて亡くなったのです。自分が死んだかもわからない人々の想念が、タクシーを止め、自宅に向かおうとするそうです。自分が死んだのかどうかとタクシーの運転手にたずねたりすると言います。普通の生活をしていて、突然命を奪われた人々。神を求める心もなく、どうしたら良いかわからない迷いの霊がこの地に残っています。信仰心を持ち合わせてない者たちは、死後もこの世から離れられないのでしょうか。不思議な話です。
「しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。」
ヨハネの第一の手紙 4:6 (口語訳)