神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

トマスの福音書26、27 〜目の中の塵

継続してトマスの福音書を訳し、解説しています。 原文は古いコプト語ですので、表示できません。英訳したものを載せます。共観福音書と共通する節も多くあります。

26

Said-JS26 this: Love-our(sg)-brother like your(sg)-soul. > Guard him like the -pupil of-your(sg)-eye.

27

Said-JS27 this: the-mote
()in-the-eye of-your(sg)-brother, you(sg)-see him; the-beam,hwvr, ( )-in-your(sg)-eye, y ou(sg)-see not it/him; > when
you(sg)-should-cast the-beam out of-your(sg)
-eye, then you(sg)-will-see outward to-cast the-mote  out of- the-eye of-your(sg)-brother. > If-you(pl)-do-not-fast to-the-world, you(pl)-will-fall not to-the-king-dom; > if-you(pl)-do-not-make th e-sabbath(sp) sab -bath, you(pl)-will-look not upon-the-father. 

 

26直訳
エスは、こう言われた。われわれの兄弟をあなたの魂のように愛しなさい。彼をあなたの❶眼の瞳のように守りなさい。

27直訳

あなたの兄弟の眼の中の❷塵を、あなたはそれを見る。❸梁を、しかしながら、あなたの眼の中にあるのを、あなたは見ない。あなたの眼の❸梁を取り出せば、あなたの兄弟の眼の❷塵を取り出すために、あなたは❹外が見えるようになるだろう。もしあなたたちが、❺この世を断食しないなら、王国には、入らないだろう。もしあなたたちが、❻安息日安息日にしないなら、父を見上げることはない。

 

ここでは、兄弟を愛することについて、主イエスは述べています。それは、自分の❶瞳のように、兄弟を守れと言っています。さて、兄弟を何から守るのでしょうか?それが27節に書いてあります。そこでは兄弟の目にある❷塵について語っています。兄弟の❶目の中の❷塵を取るために、まず自分の❶目の中にある❸梁をとりなさいと言っています。この箇所は、共観福音書の中にもあります。マタイ7章では、兄弟をさばくことについてイエスがたとえ話をしています。

7:1あなたがたは裁いてはならない.あなたがたが裁かれないためである。
7:2 なぜなら、あなたがたが裁くその裁きで自分も裁かれ、またあなたがたが量るその量りで自分も量られるからである。
7:3 なぜ、あなたの兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁に気づかないのか?
7:4 見よ、梁があなたの目にあるのに、どうしてあなたの兄弟に、『あなたの目からちりを取らせてください』と言うことができようか?
7:5 偽善者よ、まずあなたの目から梁を取り除きなさい.そうすれば、あなたは、はっきり2見えるようになって、あなたの兄弟の目からちりを取り除くことができる。
7:6 聖なるものを犬に与えてはならない.またあなたの真珠を豚の前に投げてはならない.彼らがそれを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことがないためである。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられる.捜せ、そうすれば、見いだす.門をたたけ、そうすれば、開かれる。
7:8 すべて求める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれるからである。

〜中略〜〜〜〜

7:13あなたがたは狭い門から入りなさい.崩壊に至る門は広く、その道は幅広い.そして、そこから入って行く者が多い。
7:14 命に至る門は狭く、その道は細いので、それを見いだす者は少ない。(回復訳)

〜以上から、マタイ伝では、兄弟を裁くことや命に至る門について話していることがわかります。

 

兄弟の❶目の中の❷塵とは、何か欠点のように解釈できます。文脈からは、❷塵=罪のように解釈する人も多いようですが、塵に対して梁を大きな罪に置き換えるには、無理があります。まず、目の中に❸梁が入っている者(大きな罪を犯す者)が、兄弟の目の❷塵を見ることなどできません。いったい目に梁があるとはなんでしょう?それは、兄弟の目の中の❷塵を一生懸命見ようとしている状況を言うのではないでしょうか。つまり、今までひとつの目について話したように、天国を見つめるべき目を他に向け、命に至る門を見ず、兄弟のあら探しに向けていること自体が目の中に❸梁がある状態なのです。それは天国を見ることをせず、自分の目がきちんと上を向いていない状況です。そのことを主イエスは目の中に❸梁があると言っているのでしょう。自らの❶目の中の❸梁をとりなさい〜とは、❹外が見えるようになることです。続いて、❹外が見えることについて説明されています。

「❺この世を断食しないなら、王国には、入らないだろう。」と言っています。これは、❺「この世を断つこと」です。また、「もしあなたたちが、❻安息日安息日にしないなら、父を見上げることはない。」とも言っています。

目から梁を取り除くとは、❺この世の方向に目を向けるのではなく、❻安息日ユダヤ人がするように、もっぱら神を思う時間を過ごすことなのではないでしょうか。このように、安息日に人やこの世を見るのでなく、専ら父を見上げることが、❶目の中の❸梁を取り除くことであり、兄弟を自分の❶瞳のように守ることにつながるのでしょう。意訳して見ます。

26意訳

エスは、こう言われた。われわれの兄弟をあなたの魂のように愛しなさい。彼をあなたの眼の瞳のように守りなさい。
27意訳
あなたの兄弟の眼の中の塵を、あなたは見ている。しかしながら、あなたの眼の中にある梁を、あなたは見ていない。あなたの眼の梁を取り出せば、あなたの兄弟の眼の塵を取り出すために、あなたは外(天界)が見えるようになるだろう。(すなわち、人のことを見ているようでは、王国は見えない)  もしあなたたちが、この世のことを断たないなら、王国には、入らないだろう。もしあなたたちが、安息日安息日としないなら(安息日を聖とし、神を求めないなら)    父を見上げることはない。

 

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2017/04/02/225500