神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

十字架を担え1 〜レオナルド×ミケランジェロ展

レオナルド×ミケランジェロ展へ行きました。ダビンチとミケランジェロの習作を中心の展示でありましたが、気になるのは…… 

f:id:AdonaiQuoVadis:20171013203955j:plainミケランジェロ作「十字架を運ぶキリスト像

1514-1516年 大理石 2500mm 

マタイ伝16章

16:21From that time Yahushua began to show His disciples that He must go to Yerushalam, and suffer many things from the elders and chief priests and scribes, and be killed, and be raised up on the third day.

この時からイエシュアは弟子たちに、エルサレムへ行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目に起こされなければならないことを、示し始められた。
16:22Kepha took Him aside and began to rebuke Him, saying, forbid it!My Master ; This shall never happen to You.

ケパはをわきへ引き寄せ、いさめ始めて言った、「ありえません!わがよ;こんなことは、決してあなたに起こるはずありません」。
16:23But He turned and said to Kepha, “Get behind Me, hasatan! You are a stumbling block to Me; for you are not setting your mind on Elohim’s interests, but man’s.”

しかし、は振り返ってケパに言った「サタンよ、わたしから退け! あなたはわたしの障害である;❶あなたはエロヒムの関係を思わないで、人の関係を思っている」。
16:24Then Yahushua said to His disciples, “If anyone wishes to come after Me, he must deny himself, and take up his cross and follow Me.”

それから、イエシュアの弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいと願うなら、彼は❷彼自身を否定し、彼の十字架を担い、わたしに従いなさい」。
16:25 “For whoever wishes to save his life shall lose it; but whoever loses his life for My sake shall find it.”

「誰でも彼の❸命を救おうと願う者はそれを失うのだから;しかし、誰でもわたしのために彼の命を失う者はそれを見いだす」。
16:26“For what shall it profit a man if he gains the whole world and forfeits his soul? Or what shall a man give in exchange for his soul?”

「というのは、人が全世界を手に入れても、❹自分の魂(思い、感情、意思)を失ったなら、人に何の益があるだろうか?また、人は彼の魂(思い、感情、意思)のために何と交換できるだろうか?
16:27 “For the Son of Man is going to come in the glory of His Father with His angels, and shall then repay every man according to his deeds.”

「というのは、❺人の子の天使たちとの栄光の中に来る、そしてその時❻各々の人に、彼の行ないにしたがって報いるからである」。

16:28“Truly I say to you, there are some of those who are standing here who shall not taste death until they see the Son of Man coming in His kingdom.”

「まことに、わたしはあなたがたに言う、ここに立っている者のうち❼人の子の王国の中に来るのを見るまでは、死を味わうことがないいく人かの者たちがいる」。(私訳)

〜日本語訳聖書は、25、26節でヘブライ語で、נפשו、ギリシャ語で、ψυχὴνを❸「命」と訳していますが、❹「魂」(思い、感情、意思)という意味がありますので、KJV他のように25節は「命」、26節は「魂」としました。

21節で、イエシュアは、ご自分の死と復活に対して、予言し始めました。それをいさめたケパ(ペテロ)をサタン呼ばわりし、叱りました。その理由は、ケパが❶エロヒムの関係で考えず、せまい三次元で人の関係の思考をしたからです。それから、イエシュアは、彼の弟子たちに「だれでもわたしについて来たいと願うなら、彼は❷彼自身を否定し、彼の十字架を担い、わたしに従いなさい。」と言っています。

「❷彼自身を否定する」とは、よく自分の肉的な思いを否定することだと言われます。前の23節❶から続く文と考えると、本当は、「❶人の関係の思考を否定する」ことのようです。「彼の十字架を担い」とは、イエシュアが、❶エロヒムの関係で考え、父の御心に従い、死に至るまで従うことと同じようにすることなのでしょう。これは、イサクが父の言うままに、焚き木を担いモリヤの山へ向かったのとも同じなのでしょう。

「誰でも彼の❸命を救おうと願う者はそれを失う;しかし、誰でもわたしのために彼の命を失う者はそれを見いだす」とは、この世のことについて語っています。人間のことを考えて、自分の命を救おうと願うなら、それ(命)を失うが、エロヒムの関係で思い、わたしのために命を失う者はそれ(命)を見いだすのです。われわれは、ケパのように人間的な考えをしていると、サタンに取り込まれ、最終的に命だけでなく、魂までも失うのです。イエシュアのために命を失う者とは、イエシュアの十字架のようにの心に従うことです。命がけで従うなら、それ(命)を最後に見いだすのです。「人が全世界を手に入れても、❹自分の魂(思い、感情、意思)を失ったなら、人に何の益があるだろうか?また、人は彼の魂のために何と交換できるだろうか?」確かに、この世には、お金のために魂を失った者たちがいます。国家予算を優に越える財産を持つ連中がいます。彼らが、人間の関係から物を考えているなら、魂(思い、感情、意思)はサタンに奪われてしまっています。全世界を手に入れても、❹自分の命や魂を失ったなら、何の益があるだろうか。

次に「この世の命や永遠の魂のために何と交換できるだろうか?」という質問をしています。

この答えは、マタイ22:37にあります。

And He said to him, “You shall love YHWH  your El with all your heart, and with all your soul, and with all your mind.” 

そしては彼に言われた、「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたのエルであるYHWHを愛しなさい』。(私訳)

 わたし(イエシュア)のために命を失う者とは、心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたのエルであるYHWHを愛し、イエシュア(「YHWHの救い,YHWHは救い」)のために

心、魂、思いを尽くすなら、それ(命)を見いだすのです。

 さて、「❺人の子の天使たちとの栄光の中に来る」とは、⑴十字架のあとの復活、⑵聖霊降臨、⑶臨終時の私審判、⑷再臨時の公審判のどれに当たるのでしょう。その時❻各々の人に、彼の行ないにしたがって報いる」のですから、⑶⑷の審判の時なのでしょう。

また、「ここに立っている者のうち❼人の子の王国の中に来るのを見るまでは、死を味わうことがないいく人かの者たちがいる」とあります。弟子たちの中のいく人かは、生き、あとは肉体として死んだのでしょう。いく人かには、⑷再臨時まで生き続ける者たちがいるのでしょうか。

つづく