神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

十字架を担え2 ~魂を尽くして愛せよ

マタイ16:26

“For what shall it profit a man if he gains the whole world and forfeits his soul? Or what shall a man give in exchange for his soul?”

「というのは、人が全世界を手に入れても、❶自分の魂を失ったなら、人に何の益があるだろうか?また、人は彼の魂のために何と交換できるだろうか?」(私訳)

魂と交換できるものは、この世にはありません。十字架にヒントがあります。

 

マタイ22:37より

And He said to him, “You shall love YHWH your El with all your heart, and with all your soul, and with all your mind.”

そしては彼に言われた、「『心を尽くし、❶魂を尽くし、思いを尽くして、あなたのエルであるYHWHを愛しなさい』。(私訳)

 この言葉は、第一の戒めについて、イェシュアが述べた言葉です。

心を尽くし、❶魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神、YHWHを愛せよ。

 

この言葉の中に十字架を担うと言う意味が入っています。それは、イサクがモリヤの山に向かう姿に似ています。イサクは、父アブラハムの言うことに何ら疑いも持たず、焚き木を背負い、自らを燔祭の生贄に捧げるためにモリヤの山へ向かいました。自らを焼くための焚き木を背負い、モリヤの山へ向かったのです。その姿は、十字架を担うイェシュアの予象です。

それは、心を尽くし、❶魂を尽くし、思いを尽くして主なる神を愛し、信頼する姿でした。

人は全世界を手に入れても、その魂(思い、感情、意思)を失ったら何の意味もないのです。その魂の代わりに一体何を差し出すことができるのでしょう?

私たちが、差し出すことのできるもの。それは、この世も来るべき世界も支配される主なるYHWHを愛する愛です。それは、イサクがモリヤの山に向かう姿と同じ、自らを焼くための焚き木を背負い、父を信じて歩む姿に似ています。

心を尽くし、❶魂を尽くし、思いを尽くして主なる神を愛する姿です。焚き木とは十字架を表し、モリヤの山は、燔祭を捧げる神殿が作られた場所です。

その燔祭の山に向かって、進み行き、焚き木を燃やすように心、魂(思い、感情、意思)、思いを尽くし、心、魂、思いを燃やして主を愛し、礼拝を捧げることです。その礼拝者の姿こそ、十字架を担ってついて来いと言う主イェシュアの命令に従う姿なのでしょう。

 

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※フランシスコ ザビエル像  岐阜市歴史博物館

信長に会ったころのフランシスコは、まだ若かったのでしょうか。彼は、いつも天を見上げていたことがわかる像です。