神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

祈りの中で107 〜全てを持つ者

祈りの中で示されたこと

1.御名が聖とあがめられますように。

罪深い者が、聖なる御名をあがめるためには、その者が 聖くなければならない。

「御名が聖とあがめられますように」と祈るときに、過去の罪を示されました。そこで心が砕かれるのです。そして、自分には何もない、YHWHを賛美する者だけがそこにあるのです。この最初の祈りで、御名をあがめる者が、まず聖とされるのです。

2.イエスは、何も持っていなかったが、全てを持っていた。

ルカ9:1-6

1さて、エスは十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪鬼どもを制し、病をいやす力と❶権威を授けられた。

2そして、❷の王国を宣べ伝え、また病人をいやすために、彼らを遣わされた。

3エスは彼らに言われた、「旅のために、❸何も持って行ってはならない.杖も、袋も、パンも、金銭も、下着も二枚は持ってはならない

4どの家に入っても、そこにとどまり、そこから出かけなさい。 

5だれもあなたがたを受け入れないなら、その町から出て行く時、彼らに抗議する証しとして、足からちりを払い落としなさい」。

6こうして彼らは出て行って、村から村へと行き巡り、至る所で❹福音を宣べ伝え、また❺病をいやした

~主イエスが、弟子たちを二人一組にして宣教旅行に送り出された場面です。主の宣教の基本は、杖も、袋も、パンも、金銭も、下着も二枚は持ってはならない。着の身着のままで行けというものでした。

主イエス自身も、「きつねには穴があり、空の鳥にはねぐらがある.しかし、人の子には枕するもない」(ルカ9:58)と言っていました。つまり、イエスと弟子たちは、今で言うならホームレスのような宣教旅行をしており、弟子の宣教旅行では、あえてお金すら持たずに❶神の権威のみに頼って旅をつづけるように指示したと見受けられます。その姿は❷神の王国を宣べ伝える者として、ふさわしい姿のようです。❸何も持っていなくても、❶神の権威を持っており、❹福音と❺病の癒し、マルコ6:13には「悪鬼を追い出し」たとあります。その神の権威と力により、泊まるところもパンも下着も与えられて、苦労することがなかったのです。

主イエスも、同様でした。パンを持っていなくても、5千人を満腹させ、 杖も袋もお金もなく、枕するところもなくても、盲人は見え、足なえは歩き、 らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされたのです(マタイ11:5)。 何も持っていないようで、すべてを持っている。それが、主イエスの標準であり、神の国の奇跡力そのもの。神の国のスタンダードでした。

神の国は、ことばではなく力にあるのです」(Ⅰコリント4:20)

世人は、立派な会堂や調度品、財産、ありあまる食料やきれいな衣服を求めます。しかし、そんなものが一切なくても、すべて必要なときに必要なだけ満たされる~それが神の国の福音です。神の国の標準に生きる訓練を、主イエスは弟子たちにされていました。敬愛する師も、お弟子たちを何も持たせず二人一組の宣教旅行(無銭徒歩伝道)に行かせましたね。

実際に汗を流さず、足を運びもせず、目で確認もせずに、聞いた話で人を罪定めし、批判する一部の日本の教役者たちがいるのには、本当にうんざりです。神の国の標準から外れた者を「異端」と言うのではないのですか。「わたしは、あなたがたを知らない」と言われないように、気を付けてほしいものです。私も、まだまだ外れ者ではないかと点検しながら、さらに全きお方に近づきたいです。

※今宵のご臨在~お顔が見えるかなぁ  2017.11.7撮影

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