神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️祈りの中で109 〜十字架に吸い込まれる世

1.Q人間は、なぜ神に似せて創造されたのに、この地上では力のない弱い者なのでしょうか?

○それは、力のない人間たちのこの世での経験を、わたしがすべて知るためである。苦悩や悲しみや涙、喜びや笑いや平安、愛、怒りや憎しみ、孤独、貧しさや義憤や痛み。そのすべては、環境によって左右されるから、小さき者たちの心こそ本当の意味で痛いほどわかるものだ。それはすべての創られたものが、どのように感じているかを知るためなのである。

この世は、映画のようなものだ。バーチャルの世界でお前たちは試されている。アブラハムのような、わたしの友を探している。

○あなたの心にある少しでも重たく感じること、この世の悩み、重荷の全て、この世の全てを十字架につけなさい。

 

*すると、❤️自分の周りにある、課題や問題が十字架の中に吸い込まれていった。十字架の中にすべてのものが吸い込まれていく。この世がすべて吸い込まれていく。天にある十字架に向かって、この世界の煩わしいものごとや悪魔までもが吸い込まれていった。もはやこの空間にはキリストの十字架と私ひとりしかいない。何という平安だ。いや、家族もいるぞ。家族はまだ周りに残っている。私の周りに残っているものは、家族なのか。

十字架と自分だけになったときに、本当の意味でこの世が十字架にかけられたと言えるのではないか。天国の平安をこのように生きながら味わえるのではないか。キリストの言われた「わたしのためにまた福音のために家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てたもので、その百倍を受けないものはありません。」マルコ10:29-30

家族を捨てなさいとは、残された課題なのか。いや、「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」マタイ18:20

キリストの十字架とキリストの家族だけがこの空間に存在する。

❤️この経験は、貴重なものです。

この頸木は軽いのです。〜祈りの中で。