神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

駱駝が針の穴を通るとは2 〜駱駝を見過ごすな

マタイ19章より

21イエスは彼に言われた、「もしあなたが❶完全でありたいなら、行ってあなたの❷持ち物を売り払い、❸貧しい人に施しなさい.そうすれば、あなたは❹天に宝を持つようになる.そして来て、❺わたしに従いなさい」。
22 その若者は、この言を聞いて、悲しみながら立ち去った.彼は多くの資産を持っていたからである。
23 そこで、イエスは弟子たちに言われた、「まことに、わたしはあなたがたに言う.❻富んでいる者が天の王国に入るのは難しいものである。
24 わたしはまたあなたがたに言う.❻富んでいる者が神の王国に入るよりは、❼らくだが針の穴を通り抜けるほうがまだ易しい」。
25 弟子たちはこれを聞くと、非常に驚いて言った、「それでは、だれが救われることができるのでしょう?」
26 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、❽神にはすべての事ができる」。(回復訳)

マタイ23章

23偽善者である聖書学者とパリサイ人よ、あなたがたは災いである! あなたがたは、はっか、いのんど、クミンの❾十分の一をささげるが、律法のさらに重要な事柄、すなわち、➓正義とあわれみと信実とをなおざりにしている。これこそ行なうべきことである.もちろん、ささげ物もなおざりにすべきではない。
24 ⓫盲目な案内者たちよ、あなたがたは、⓬ぶよはこしているが、❼らくだは飲み込んでいる!
25 偽善者である聖書学者とパリサイ人よ、あなたがたは災いである! あなたがたは杯や皿の⓭外側を清めるが、⓮内側は⓯略奪と放縦で満ちている。
26 ⓫盲目なパリサイ人よ、まず杯や皿の⓮内側を清めなさい.そうすれば、⓭外側も清くなる。
27 偽善者である聖書学者とパリサイ人よ、あなたがたは災いである! あなたがたは白く塗られた墓に似ている.それは⓭外側は美しく見えるが、⓮内側は死人の骨やあらゆる不潔なもので満ちている。
28 だから、あなたがたも⓭外側は人に義なる者に見えるが、⓮内側は⓰偽善や不法で満ちている。(回復訳)

 

マタイ伝には、 ❼駱駝を使った譬え話が二つ出てきます。一つはお金持ちの青年に対し、主イエスが語った、「❼らくだが針の穴を通り抜けるほうがまだ易しい」と言う言葉です。もう一つは、パリサイ人や聖書学者(律法学者)に対し、「⓬ぶよはこしているが、❼らくだは飲み込んでいる!」と言う言葉です。

駱駝とは、何を暗示しているのでしょうか?

19章では、大きな荷物を背負った駱駝のような「❻富んでいる者」を暗示しているように思われます。しかし23章では、もう少し深い意味で示唆しているようです。「⓫盲目な案内者たちよ」と呼びながら、「⓬ぶよはこしているが、❼らくだは飲み込んでいる!」と言ったことは、次の「❾十分の一をささげるが、律法のさらに重要な事柄、すなわち、➓正義とあわれみと信実とをなおざりにしている」に相対しています。つまり、「⓬ぶよはこす」とは、「❾十分の一をささげる」ことで、自分たちが律法を守っているようにし、⓭外側は人に義なる者に見える状態です。また、「❼らくだは飲み込んでいる!」とは、律法のさらに重要な事柄である、「➓正義とあわれみと信実とをなおざり」にしており、心の「⓮内側は⓯略奪と放縦、⓰偽善や不法で満ちている」と指摘しているのです。駱駝とは、「律法のさらに重要な事柄を守らない=➓正義とあわれみと信実とをなおざりにしていること」なのですね。23節の κρίσινは、動詞κρίνω="to separate, distinguish, judge"から「分けること、施し」と訳しても良いと思います。また、πίστινは、「誠実」とも訳せます。それで、「➓施しとあわれみと誠実とをなおざりにしている」と言えるはずです。

以上のことから、❼駱駝が針の穴を通る、❼駱駝を飲み込むとは、自分の財産を保持し、外側は信心深く振る舞っているが、貧しい人たちに対しては見て見ぬふりをし、❷持ち物を売り払い❸貧しい人に施すことなどしないことを指しています。駱駝とは、➓施しとあわれみと誠実とをなおざりにしていることを暗示しているのです。❾十分の一をささげ、あたかも義務を果たしたと安堵しているとしたら、間違いです!律法のさらに重要な事柄、すなわち本質である愛の情動で生きる➓施しとあわれみと誠実とを守っていないなら、律法学者パリサイ人と同じです。駱駝のように見て見ぬ振りの愛のない生き方をすることを飲み込んでいる人はいませんか。

以前に記事にしたように、天国籍の者は貧しい人、困っている人を見て、愛の情動で動き、声をかけて、なおざりにしたりはしません。自分で意識しない無私の愛があるのです。

もう一つ駱駝とは、 二つの目が極端に離れており、人が近づいても、横目で上目づかいに高いところから見下げたように見ている動物です。また歩いている時も、あたかも貧しい人の前を通り過ぎる人間のようにその視線は見て見ぬふりをして、歩き過ぎます。声を出すこともありません。❼駱駝とは、この世の富を背中にたくさん積んで、貧しい人や困っている人の前を無言で通り過ぎる愛のない行動のことなのです。

❾十分の一を神殿に捧げていると言い、貧しい人に施しもできない者は、針の穴を通ることができませんし、❼駱駝をこさずに飲み込んでしまっているのです。➓施しとあわれみと誠実、ここに天国人になるための高い基準があります。

今、水泳日本選手権が行われていますが、世界大会に進むには標準タイムを突破しなければなりません。天国も、標準タイムがあるようです。このレースは、心の愛の量を測るレースです。キリストの御霊に満たされて、御霊の愛に満たされて、やっと到達できる高い水準の標準タイムです。私も自分自身が失格者にならないように、イエス・キリストのピスティス(信仰・誠実)に頼り、御霊に操られ、御霊の愛に生きるしかありません。自分ではできないが、神にはできるのです。

*街を歩いている駱駝がたくさん見えます。

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*たくさんの荷物を背負って、貧しい人の前を通り過ぎていく駱駝。

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*❾十分の一をささげるが、律法のさらに重要な事柄、すなわち、➓正義とあわれみと信実とをなおざりにしている。(マタイ23:23)

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野宿生活者を支援する兄弟たち

人にはできないが、❽神にはすべての事ができるのです。(マタイ19:26)

 

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