神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

バチカンが外した14巻 〜聖書にない大切な資料

1684年に、バチカンが聖書から外した14の書

❶• 1 Esdras
❷• 2 Esdras
❸• Tobit
❹• Judith
❺• The rest of Esther
❻• The Wisdom of Solomon
❼• Ecclesiasticus
❽• Baruch with the epistle Jeremiah
❾• The Songs of the 3 Holy children
➓• The history of Susana
⓫• bel and the dragon
⓬• The prayer for Manasses
⓭• 1 Maccabees
⓮• 2 Maccabees

🔹第2正典🔹

七十人訳聖書は、写本によって多少の異同はあるが、後のマソラ写本39巻に加えて下記の書物を含んでいる。

❶第1エズラ書(ギリシア語)

❷第2エズラ書(ラテン語
❸トビト記
❹ユディト記
エステル記(ギリシア語)ヘブライ語聖書の『エステル記』にない6ヶ所の付加部分がある。(エステル記補遺)
❻知恵の書(ソロモンの知恵)
❼シラ書(ベン・シラの知恵)
❽バルク書

❾三人の若者の賛歌

➓スザンナ

⓫ベルと竜

⓬マナセの祈り『歴代誌』下33章。
⓭第1マカバイ記
⓮第2マカバイ記

⓯エレミヤの手紙

◉ダニエル書補遺

ヘブライ語聖書の『ダニエル書』に「⓰アザルヤの祈りと❾三人の若者の賛歌」「➓スザンナ」「⓫ベルと竜」を加える。
上記のうち、❶第1エズラ書(ギリシア語)と⓬マナセの祈り、およびマカバイ記のうち⓱第3・⓲第4マカバイ記は、カトリック教会では正典としていない。)〜wikiより

今は、プロテスタントが66巻、カトリックが73巻を聖書に加えています。分け方にもよりますが、14巻以外にも外された書があるようです。本来は❶〜⓲の18巻全てを含めて84巻があったということでしょうか。正典以外を読んでみると、確かに的を外れた感の書もあります。

http://awarenessact.com/the-vatican-removed-14-books-from-the-bible-in-1684-with-no-real-explanation/?=wuw

    私は、新約の四福音書を読んでいるときが、一番心安らぎます。主イエスの発したことばこそ、隔ての幕を割き、天の視点を開いてくださいます。

    さて、ここでの記事によく扱う"トマスによる福音書"についても付記します。"トマスによる福音書"は、1945年にエジプトで見つかった『ナグ・ハマディ写本』群に含まれていた文書で、114の文からなるイエスの語録集です。本文中に使徒トマスによって書き記されたとあるので、この名があります。イエスの語録集として古くから注目され、これまで原始キリスト教の教父たちの証言により、その存在は知られていましたが、その後退けられたため、今世紀の写本発見までは、その内容はほとんど不明だったのです。その文章の中には共観福音書との共通点も多く見受けられると同時に、四福音書には見られない難解な文章も多く、節ごとの繋がりもないので、それゆえに福音書としての採用を敬遠されるはずだとも思われます(そもそも、1945年に見つかったので、中世の編纂対象にならなかった)。

    四福音書作成の元になる主の言葉のメモのような文章は、「Q資料」と呼ばれます。その第一候補がトマスによる福音書です。主の語られたことだけを記録した初期の「Q資料(語録)」(聖書の骨格)と呼ばれるものに近いといわれています。言語学者や聖書学者がこの語録を訳したものを読んでもピンとこないのですが、実際に翻訳すると聖書の中のレーマも共通しており、大変な宝が隠されていると感じています。しかし、ナグ・ハマディ文書の中に発見され、トマスが主の言葉を備忘録として書き留めたものであるなら、解読する価値があると思います。

    それを聖書と比べながら探るのは、価値のあることだと考えています。実際、特にその隠喩を解読することで、今までになく聖書の解釈が変わってくるのは不思議です。今の日本語の聖書がいかに原文から外れた訳をしているかも少しずつわかってきました。
 この福音書に少しでも主イエスの御言葉アグラファ(現行の新約聖書福音書には収録されていないが、その他の初期キリスト教文献で言及されているイエスの言葉が幾つかあり、これを「アグラファ」=ἀγράφα. 「書かれざるもの」と呼び、新約聖書学上、大きな意味を持つ)が含まれているならば、114節の短い言葉を解読することは価値のないことではありません。否、多くの収穫を得ることができるかもしれないと感じています。序文にある「だれでもこれらの言葉の意味に行きつくなら、彼は死を味わうことがない。」とは永遠のいのちを示唆するものであり、それが本当なら驚くべき宝が隠されている可能性を示しています。その真偽については、114のことばの意味を解釈してみれば結果として見出すことになると考えます。