神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

父の御心をさぐる3 〜永遠の命を得るために

ヨハネ伝6章より

28
彼らは彼に言った、「わたしたちは❶神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか?」
29
エスは答えて言われた、「❷神が遣わされた者の中へと信じること、これが❶神のわざである」。

(❶神のわざ=❷イエスの中へと信じること)
30
彼らは言った、「わたしたちが❸見てあなたを信じるために、あなたはどんな❹しるしを行なわれるのですか? どんなわざを行なわれるのですか?

31

わたしたちの父祖は荒野でマナを食べました.『神は彼らに❺天からパンを与えて食べさせられた』と書かれているとおりです」。

(❺マナのような❸見て信じる❹しるしは?)

32
エスは彼らに言われた、「まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が、❺天からのまことのパンを与えてくださるのである。
33
❺神のパンとは、天から下って来て、世に命を与える者である」。

(❺神のパン=世に命を与える者)
34
彼らは彼に言った、「主よ、❺このパンをいつもわたしたちに与えてください」。
35
エスは彼らに言われた、「わたしが❺命のパンである.わたしに来る者は決して飢えることがなく、❻わたしの中へと信じる者はいつまでも決して渇くことはない。

(エス=❺命のパン。イエスに来る者は飢えない、❻イエスの中へと信じる者は渇かない)
36
しかし、あなたがたはわたしを見たのに信じない、とわたしはあなたがたに言った。
37
❼父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしに来る.そしてわたしに来る者を、❽わたしは決して追い出しはしない。
38
なぜなら、わたしが天から下って来たのは、自分の意志を行なうためではなく、わたしを遣わされた方の❾みこころを行なうためだからである。
39
わたしを遣わされた方の❾みこころとは、彼がわたしに与えてくださったすべての者を、➓わたしが一人も失うことなく、終わりの日に復活させることである。40
わたしの父の❾みこころは、子を見て彼の中へと信じるすべての者が➓永遠の命を持ち、わたしが彼を終わりの日に復活させることである」。

(❾みこころとは、父がイエスに与えてくださったすべての者=子を見て彼の中へと信じるすべての者を、➓一人も失うことなく、終わりの日に復活させること)

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44
わたしを遣わされた❼父が引き寄せられるのでなければ、だれもわたしに来ることはできない.わたしは彼を、終わりの日に復活させる。

(❼父が引き寄せられるのでなければ、だれもわたしに来ない)
45
預言者の書に、『⓫彼らはみな神に教えられるであろう』と書き記されている。❼父から聞いて学んだ者はみな、わたしに来る。

(『⓫彼らはみな神に教えられるであろう』=エレミヤ31:34「それぞれ隣人とそれぞれ兄弟に教えて、『エホバを知れ』と言うことはない.まことに、彼らのうちの小さな者から彼らのうちの大きな者まで、彼らはみなわたしを知るようになるからであると、エホバは告げられる)
46
父を見た者はだれもいない.ただ神から来た者、彼が父を見たのである。
47
まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.➓わたしを信じる者は永遠の命を持つ。
48
❺わたしは命のパンである。
49
あなたがたの父祖は、荒野でマナを食べたが死んだ。
50
しかしこれは、天から下って来るパンであって、これを食べる者が、➓だれも死なないためである。
51
わたしは天から下って来た❺生けるパンである.だれでも❺このパンを食べるなら、➓永遠に生きる.

わたしが与える❺パンは⓬わたしの肉であり、世の命のために与えるものである」。

(➓イエスを信じる者は永遠の命を持つ。❺イエスは命のパンで、これを食べる者は➓だれも死なない.イエスが世の命のために与える❺パンは⓬イエスの肉)

52
すると、ユダヤ人は互いに言い争って言った、「どうしてこの人は、⓬自分の肉をわたしたちに与えて、食べさせることができるのか?」
53
エスは彼らに言われた、「まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.⓬人の子の肉を食べ、⓭彼の血を飲むのでなければ、あなたがたの内に命はない。
54
⓬わたしの肉を食べ、⓭わたしの血を飲む者は、➓永遠の命を持つ.わたしは彼を、終わりの日に復活させる。
55
⓬わたしの肉はまことの食物であり、⓭わたしの血はまことの飲み物である。

56
⓬わたしの肉を食べ、⓭わたしの血を飲む者は、❻わたしの中に住み、⓮わたしも彼の中に住む。
57
⓯生ける父がわたしを遣わされ、わたしが父のゆえに生きているように、⓰わたしを食べる者も、わたしのゆえに生きる。
58
これは天から下って来たパンである.父祖たちが食べて死んだようなものではなく、❺このパンを食べる者は➓永遠に生きる」。  

(⓬イエスの肉を食べ、⓭血を飲めば、内に命はある。⓬イエスの肉を食べ、⓭血を飲む者は、➓永遠の命を持つ.⓬イエスの肉はまことの食物、⓭イエスの血はまことの飲み物。⓬イエスの肉を食べ、⓭血を飲む者は、❻イエスの中に住み、⓮イエスも彼の中に住む。⓯生ける父がイエスを遣わされ、イエスが父のゆえに生きているように、⓰イエスを食べる者も、イエスのゆえに生きる)

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61
しかしイエスは、弟子たちがこのことをつぶやいているのを心の中で知って、彼らに言われた、「これがあなたがたをつまずかせるのか?
62
それでは、人の子が前にいた所へ昇るのを、あなたがたが見たらどうなのか?

(しるしを求めた弟子たちに対し、イエスの昇天のしるしを暗示)

63
⓱命を与えるのはその霊である.⓬肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った⓲言葉(ῥήματα)は霊であり、命である。

(⓱命を与えるのはイエスの霊、⓬肉は何の役にも立たない.イエスが語った⓲言葉が霊であり、命である)
64
しかし、あなたがたのうちには信じない者がいる」。イエスは初めから、信じない者はだれであるか、ご自分を裏切ろうとしている者はだれであるかを、知っておられた。
65
エスは言われた、「こういうわけで、わたしはあなたがたに、父が与えてくださるのでなければ、❼だれもわたしに来ることはできない、と言ったのである」。(回復訳)

 

**要約**********

(❶神のわざ=❷イエスの中へと信じること)

(イエスは❺命のパン。イエスに来る者は飢えない、❻イエスの中へと信じる者は渇かない)
(❾みこころは、父がイエスに与えてくださったすべての者=子を見て彼の中へと信じるすべての者を、➓一人も失うことなく、終わりの日に復活させること)

(❼父が引き寄せられるのでなければ、だれもわたしに来れない)(『⓫彼らはみな神に教えられるであろう』)
(➓イエスを信じる者は永遠の命を持つ。❺イエスは命のパンで、これを食べる者➓だれも死なない.イエスが与える❺パンは⓬イエスの肉、世の命のために与える)

(⓬イエスの肉を食べ、⓭血を飲む者は、❻イエスの中に住み、⓮イエスも彼の中に住む。⓯生ける父がイエスを遣わされ、イエスが父のゆえに生きているように、⓰イエスを食べる者も、イエスのゆえに生きる)

(⓱命を与えるのはイエスの霊、⓬肉は何の役にも立たない.イエスが語った⓲言葉(ῥήματα)が霊であり、命である)

 

**結論**********

父の❾みこころは、父がイエスに与えてくださったすべての者=子を見て彼の中へと信じるすべての者を、➓一人も失うことなく、終わりの日に復活させること。➓イエスを信じる者は永遠の命を持つ。⓱命を与えるのはイエスの霊。イエスが語った⓲言葉(ῥήματαレーマpl)が霊であり、命である。イエスの霊が与える言葉(ῥήματαレーマpl)により命を得る。❻イエスの中に住み、⓮イエスも彼の中に住むことができる。⓯生ける父がイエスを遣わされ、イエスが父のゆえに生きているようになる。

『⓫彼らはみな神に教えられるであろう』とは、エレミヤ31:34の「それぞれ隣人とそれぞれ兄弟に教えて、『エホバを知れ』と言うことはない.まことに、彼らのうちの小さな者から彼らのうちの大きな者まで、彼らはみなわたしを知るようになるからであると、エホバは告げられる」〜という状態。これは、イエスの霊=聖霊によってもたらされる言葉(ῥήματαレーマpl)=sayings語りかけによって生きること。

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