神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

天の御座の主とキリストを礼拝せよ2 〜サンダー・シングSS19

サンダー・ シングは、その著『神との対話』の序文で、自分がイエス・キリストと神秘の交わりを持ったときの内的状況を、次のように書いている。「主は、わたしのハートの鍵を手に入れておられた。その愛の鍵で、わたしの心の奥まった部屋を開けるや、主はその尊き現存でそれを満たされた。そしてわたしは内も外も、自分の見るどこにおいても、主のお姿しか見えなくなった。この時に、わたしは人間の心が神の御座、砦そのものであり、神がそこにはいられ、お住まいになるときに、天国が始まることを知ったのである」。「東洋的修行において、第三の目を霊眼とか千里眼とか呼び、額にばかり意識を集中させる人々がいるが、胸において霊魂と神との合一があるときに、初めて脳の中枢は本来の活動を発揮する。この逆はありえない」と聖人は述べている。サンダー・シングの言葉の中に、「心」とあるのはハート(胸) のことである。文脈により、言葉を「胸」に置き換えて読んでいただきたいと思う。「マインド」という語も「心」と訳せるが、これはむしろ、知、精神の方の「心」で、サンダー・シングの言葉の中には出てこない。

「宗教とはハートの問題である。人が、心を開くときに真理を知る。知性によってでも、目によってでもなく、ただ心の奥底を通してわれわれはそれを知るのだ。それ以外のことは本を通して学ばなければならないが、イエス・キリストを知るのに、本の知識は不要である。あなた方に必要なのは、心を明け渡すことである。回心前の自分が、罪を犯すまいと努力したが、誘惑を克服することができなかった。イエス・キリストに心を捧げたときに、それが可能になった。あなた方の心をキリストに捧げることである。あなた自身を主に屈服させ、主に自分を支配していただくことである」。

「ハートは、霊魂の最奥部である。心は、いわば見えざる世界からの無線情報を受信するが、頭は見える世界に関わっている。霊的実在の核心を見、感じるのは心である。頭は、わたしが心で見たものに黙って従う。自分がまず第一に心で見ていなければ、頭はこれを信じることはないだろう。心は、頭を超越しているのである。頭で得た知識は、ハートまで下ってくることはない。わたしは川の中から石を拾って割って見たことがある。15センチほどのこの石は外側は濡れていたものの、内側と中央部は乾いていた。石は水の中にあったが、水は石の中にはなかった。人間にあっても同じことである。キリスト教会には、キリストに関して多くのことを知っていながら、心が石のように乾いている人々がいる。キリストが心の中にいないのだ」。

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「神秘家が嘘を言っていないことは、その生き方によって確かめることができる。そこで、まず、彼の言うことに耳を傾け、次にその言葉をあなた自身が体験によって生き、確かめてみることである。

霊的事柄を、霊的経験は何一つ持たない科学者の判断に委ねることほど愚かなことはない。日食がいつ起こるかわかる科学者も、罪という日食について何一つ知らずにいるのだ。眼球にはものを見る力が備わっているが、光に照らされなければものを見ることができない。同じように知性と言う目にも、見る力は備わっているが、『義の太陽』に照らされないうちは、見ることができないのである」。

〜サンダー・シング“At the Master's Feet”『神との対話』より

参考:「イエス・キリスト封印の聖書」林陽訳(徳間書店)

 

啓示録からの「礼拝せよ1」〜で示された方法で、ぜひ祈って体感してみてください。聖なる御座の前に引き上げられる体験を祈ります。

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