神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

安息日のご臨在 〜不思議な光と雲 奇跡38

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2018.8.24撮影

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2018.8.24撮影

安息日の始まり、月にかかる見開いた目は、何かを告げようとしています。安息日の明日、出かけるのはいけないということでしょうか。われわれの心を見透かして、こう聞こえます。

「貧しい人から取り上げ、 困っている人を踏みつける商人たち。 聞きなさい。 あなたがたは、安息日新月の祭りが 早く終わることをひたすら願っています。 そうすれば、重くした量りと短くした物差しで、 ごまかして儲けることができるから。 わずかな借金、たった一足のくつの代償に 貧しい人を奴隷とし、かびた小麦を売りつけています。 イスラエルの誇りである主は誓います。 「おまえたちの行いは忘れない。 この地は、滅びを目前にして震えおののき、 だれもが嘆き悲しむ。 この地は、増水したナイル川のように盛り上がり、 激しく揺れ動き、再び沈む。 その時、わたしは真昼に太陽を沈ませ、 日中に地上を暗闇にする。 宴会を嘆きの時に変え、 喜びの歌を絶望の叫びに変える。 おまえたちは喪服を着、頭をそり、 まるでひとり息子が死んだように悲しむ。 その日には、悲惨、ただ悲惨があるのみだ。」 主はこう言います。 「時は近づいている。 その時には、この地にききんを送る。 パンや水のききんではない。 主のことばを聞くことのききんだ。 人々は海から海へと至る所を歩き回り、 主のことばを探し求める。 だが、あちこち探し回っても見つからない。 美しい娘も、りっぱな若者も、 神のことばを渇き求めて弱り、疲れはてる。 サマリヤ、ダン、ベエル・シェバの偶像を拝む者は 倒れて、二度と起き上がらない。」」
‭‭アモス書‬ ‭8:4-14‬ ‭(リビングバイブル訳)

心にせまる御言葉です。

「これがために地は震わないであろうか。地に住む者はみな嘆かないであろうか。地はみなナイル川のようにわきあがり、エジプトのナイル川のようにみなぎって、また沈まないであろうか」。」‭‭アモス書‬ ‭8:8‬ ‭(口語訳)

まさに、現代日本に起きている災害ではないか。

「主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。」‭‭」アモス書8:11口語訳)

この偶像ばかりに目を奪われた国民に絶望という飢饉がくる。この飢饉は、パンの不足ではない、水に渇くことでもない、主の言葉を聞くことの飢饉だ。偶像とは、この世の人々が求める物欲、興奮して観るスポーツや映像、渇いた心を何とかしようとする飲酒や飲食。しかし、人々の心は癒されない。それは飲食の飢饉ではない、水に渇くのでもない、主の言葉を聞くことの心の飢饉だからだと天の目は、語っているようです。