神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

トマスの福音書42② 〜敬愛する師31

この世は橋だ。通過すべきところだ。〜敬愛する師の解釈より、シェアさせてください。

新約外典イエス・キリストの言葉として「この世は橋である」という一句があります。

 「橋」というものは、向こう岸へ歩いて渡るためのものでして、橋の上で、いつまでも右往左往すべきところではありません。この世は留まるべきところでなく、通過すべきところです。向上一路、天国をめざして歩む橋として観ずれば、その一歩一歩に意義と価値があります。幼年、少年、青年と一直線に成長し、やがて老年となり、死を迎えて来世へ渡ります。一回きりの人生、二度とやり直しのできぬ地上の生涯です。尊んで生きましょう。

 この世は天国への予備校です。予備校は予備校なりの意義がありますが、しかし、長く在籍すべきところではありません。

 私たちの人生の目的は、死のかなたに「来世への架け橋」を渡って、永遠の光の国に巡礼の旅を続けゆくにあります。私の好きな聖歌に次のようなものがあります。

懸けにし望みも ちりゆく花の
はかなきこの世を 去る由(よし)もがな
永遠(ときわ)の栄えに 入るべき者の
留まるべしやは ここに暫(しば)しも
父なる御神の 招きたまえば
御許へゆく身を ひきな留めそ
 

 いつまでも長くこの世に留まっておろうと思うからこそ、多くの思い煩い、悩み、問題が生じるのです。もしも無目的に獣のごとく、橋の上を行きつもどりつしていたら、往生できず、魂は滅亡してしまいます。

 3年前(1966年)のことですが、韓国を訪ねたおりに、昔、住んでいた釜山の私の家の前を通ったことがあります。その付近は日本人の金持ちがおりまして、人々は「福田さん、香椎さん、立石さん」と言って、ほめはやしたものでした。しかし今、戦後になって20年目、同じ場所を歩いてみると、富める人も貧しい人も日本人はだれもおりませんし、私の旧宅も見知らぬ人が住んでいます。私の会社の工場も跡形なく、一切が変わっておりました。

 私は一種の終末観というか、寂漠を禁じ得ませんでした。だが、大きな教訓は、すべてがこうなるのだということです。今、皆様とこうしてお交わりしておりますが、やがて楽しい思い出だけが残り、すべては変わるでしょう。そう思いますと、ひとつの無常観が私を取りまきます。それは消極的なことのようです。しかし、私にはそうではなかった。世は無常だ、そうならば最後、精一杯に生き抜いてみようという感慨が湧きました。

 10年前、初めてイスラエルに行きましたときに、新聞(『エルサレム・ポスト』)でこんな話を読んだことがあります。

* * *

 ネゲブの砂漠に新しいキブツ(村)を造るのだが、たいへんな炎熱の場所で、とても働けたものではない。ところが、ひとりの老人がどこからともなくやって来て、「若い人たちよ、新しい村造りはたいへんだろう。なにか私にできることがあったら、しよう」と言って、毎日、枯れ木ばっかり集めてきた。ヘンな老人だなあ、とみなは軽蔑していた。

 30日もすると、砂漠のあちこちから集めてきた枯れ木が山のように積み上げられた。そんな枯れ木で何をするのか、と見ていると、今度は、それで小さなトンネルを作りだした。その上にアンペラや草の葉を持って来て、その枯れ木の小トンネルの上に積んだ。みな、いぶかしがっていたが、焼けるような気温50度以上の石の荒野も、そのトンネル内の草陰だけは、なんと涼しいことであろう。みんなをその涼風吹きそよぐ中に招じ入れて、午睡をすすめてくれる。

 今までヘンな老人だと思ってみていた人々は、聖者と仰ぎたいような気持ちになった。遠く山肌から吹き渡ってくる涼しい風に、直射日光を避けて寝ころんで聞く老人の話は、青年たちの心に大きな未来の夢を見せてくれる。ところが、数日後に、その老人はどこへともなく姿を消した。それで、もしその老人の詳しい住所と氏名がわかるなら、教えてほしい。

* * *

 私はこの記事には、いたく感動しました。老いぼれた体で、自分の身分も明らかにせず、ただ新しい理想を築く人々のために、枯れ木をいっぱい拾って、涼しいトンネルを作ってやった。ああ、この人は、地上を愛しながらなんらの報いを求めず、しかも自分の分際を知って、後につづく人々のため、「架け橋づくり」に精一杯生きた人でした。こんな人があったればこそ、栄光の村は建設されたのでした。

 この世は橋であるからには、次の世代のためにこの世を通過しやすくしてあげることは、私たちの義務です。いつまでもここに留まるものでないと思えば、ものの考え方が違ってきます。

 今から24年前(1945年)の、終戦を迎えた8月の末のことでした。私は朝鮮の京城をいよいよ立ち去るときに、懇意にしていた友人の金さんの家族を訪ねました。彼らも、戦後どうなるであろうかと案じていましたが、私は当時のお金で5万円を置いて帰ってくることができました。それは朝鮮銀行券で、日本に持ち帰っても通用しないものでした。

 同様にこの世の富は、あの世までは通用しません。それにしても久しぶりにかの地を訪ねてみて、あの時、金さんの奥さんにあのようにしていて良かったなあ、と心から思いました。

 この世において、この世への執着から逃れて生きることができるとき、私たちは自由です。そして楽です。思い切ったことができます。すべてのことの割り出し方が違ってきますから、かえってこの世で成功する道も見いだすものです。

 私たちは、宗教的な「来世」という立場に立って生きたら、どんなに強いか! そして、どんなに悔いなき一生を送ることができることか! そうであれば、この世の富などは転がりこんできます。みみっちく貯めたりするものでないことがわかりますよ。

 ともあれ、この世がなんであるかが、真にわかりますと、地上で富んでいるとか貧しいとか、学歴があるとかないとか、運命が悪いとか、そんなことは小さいことだ! 人生、泣くも笑うも同じだ、と達観して歩くことができます。

 「この世は橋である」。それだけに、もっと良い橋を残して来世に立ち去るのは、私たちの義務であり、尊い特権ではないでしょうか。

 (1969年)

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/10/06/010156