神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

在りて有る方 〜高次元へ意識を広げて

面白いご意見をいただきましたので、わたしの考えも含めて以下に紹介させて下さい。

最近寄せられたご意見より〜

神はアルファにしてオメガ、初めにして終わりである。 これは❶神が久遠(無限)、常在、永遠であるという意味です。 そしてミクロにしてマクロという意味でもあります。 キリストの言葉に❷「源(はじめ)の中に終りが在り終わりの中に源が在る」と言うのがあります。 これを時に置き換えると「❸一瞬の中に永遠が在り永遠の中に一瞬が在る」となります。つまり一瞬の間断無き連続を【永遠】と言い❹時間は実在しない、となります。 時間が実在しないことが理解(悟)されれば❺空間、❻距離も存在しない事が理解され、それに伴い神が久遠、常在であることもりかいされます。 「❼神は、手や足よりも近く最も近いものよりも近くに在す」 これは、「❽我々は神の中(心の中)に存在し、我々の内に神はま在す」という意味です。 言い換えるなら全ては神である。という事です。 ❾鉱物、植物、動物、人間、ことごとく神ご自身が姿形を変えてそのものになっている。これが「最も近いものよりも近い」という言葉の意味です。〜以上。

 

〜大変面白いご意見でした。私の考えを述べさせて下さい。

まず、「❶神が久遠(無限)、常在、永遠である」ことは、アァメンです。また、「❼神は、手や足よりも近く最も近いものよりも近くに在す」 こともアァメンです。「❽我々は神の中(心の中)に存在し、我々の内に神は在す」ことも然りです。

キリストの言葉に❷「源(はじめ)の中に終りが在り終わりの中に源が在る」とは、トマスによる福音書の18でしょうか?黙示録22章がその補足になると思います。以下、直訳に近い回復訳を紹介します。

12「見よ、わたしはすぐに来る。わたしの報いはわたしと共にあり、それぞれの働きにしたがって与える。
13わたしはアルファでありオメガである。最初の者であり最後の者である。初めであり終わりである」。(回復訳)

これは、前後の文脈から、キリストが救いから審判までを完成するという意味だと思います。また、箴言8章22節からにもヒントがあります。
「主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。 いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。 まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、 山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。 すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。 彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。 彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、 海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、また地の基を定められたとき、 わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、 その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。 それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。 教訓を聞いて、知恵を得よ、これを捨ててはならない。 わたしの言うことを聞き、日々わたしの門のかたわらでうかがい、わたしの戸口の柱のわきで待つ人はさいわいである。 それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。 わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である」。」‭‭箴言‬ ‭8:22-36‬ ‭(口語訳‬‬)

ここでは、創造のはじめから、審判までを司るイエスの姿が見とれます。

 

次に「❹時間、❺空間、❻距離が存在しない」ことについては、私の認識とは違います。以前にも記事を書きましたが、神は高次元の存在です。我々3次元に生きる者は、せいぜい4次元までしか認識できません。しかし、「❹時間、❺空間、❻距離が存在しない」としてしまったら、1〜4次元世界を否定してしまうことになります。それは、神がモーセに語ったご自分の名である「在りて有る」からは、全く違う説明になります。❹時間、❺空間、❻距離が存在しないとは、「在りて有る」方である神を否定することにもなります。まさに"無"の世界です。虚無でしかありません。❺空間が無ければ、「❽我々」も存在しないし、「❾鉱物、植物、動物、人間、ことごとく」は、存在しません。このような認識は、仏教でよくかたられますが、万物を創造し遍在される「在りて有る」方が聞いたら、悲しまれると思います。我々の魂は、高次元へと向かい昇華すべきです。低い次元(無=1次元)へ意識を向ければ、空しく人生はつまりません。

〜これは、わたしの意見ですので、どのようにお考えになっても構いません。

現代物理学では、11次元までの次元の存在が語られ、新しい開拓地を模索しています。3次元の宇宙空間ではなく、異次元を確認しようとしています。

また、高次元とは逆に、点とでも言うべき存在も確認中です。それは、ご意見にもあった空間が存在しない点の世界です。スイスのCERNの実験では、小さなブラックホールを作ることを目指しています。

ブラックホールは光も逃げ出せない事象の地平(event horizon)のため、直に観測することはできませんが、周囲の天体に及ぼす影響から、ほぼ間違いなく存在するとされています。つまり、空間のない特異点の作り出すブラックホールは"無"ではないのです。ブラックホールからは、高エネルギーが放出されており、宇宙にあるブラックホールの観測からもその姿が撮影されています。全宇宙が巨大なブラックホールに飲み込まれた場合は、質量のない重力子や光子というエネルギーだけになると思いますが、すぐに新たな爆発と宇宙の誕生が繰り返されることでしょう。しかし、そんな途方もない❹時間と❺空間の移ろいは、4次元以上の存在から見れば、あたかも花火を楽しむ程度のものなのでしょう。

"何も存在しない"とは、もともと"私"が存在し、"❾鉱物、植物、動物、人間、ことごとく"が、今現在存在してしまっている状況では、論理的に破綻してしまうのです。何億年も経って、全てがブラックホールに飲み込まれて無くなったとしても、今"❽我々"が存在し、"❾鉱物、植物、動物、人間、ことごとく"が、存在した事実は消せないと思います。

「❸一瞬の中に永遠が在り永遠の中に一瞬が在る」という境地は、綺麗なことばですが、一瞬と永遠の間に、"今"という我々の人生や生活が確かに実存しているのです。もし実存しないというなら、例えば、ご自分で存在しないというこの世の食物を飲み食いせず、周囲の大気を吸って呼吸するのをやめてみれば、どうなるかわかると思います。永遠の中には、今の私たちの人生が入っています。この世という空間も時間も確かに存在するのです。

しかし、この世にある物は、天国(高い次元)では取るに足りないものです。ご意見には賛同する部分も多く、この世の財産をパウロが塵芥と言うのがわかる方だとも思います。

でも大切なことがあります。キリストはこの世を愛されて降臨し、十字架に架かられたということです。このことを考えますと、この世で天国を広げることも大切なことだと思います。思いばかりが先行し、現実を見なくなるのは、宗教でしかありません。私は、現実(実存)の中で神を身近に感じる生活を目指しています。耳障りの良いことをたくさん語る者が、真実ではなく、実際に生活の中で神の奇跡がありありと現れる者こそ真実だと考えています。

以上が私の考えであります。

高度文明のゴール2 ~天国と地獄は心から生まれる 2015 FBより再掲 - 神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~