神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

一節を瞑想せよ 〜サンダー・シングの生活 SS20

東洋の聖フランシスコと言われたサンダー・シング(スンダル・シング)は、個人的にどのような生活を送っていたのかについて知ることが、私たちにとって大変有益です。

〜「聖なる教え」より〜

キリスト者として最高レベルにランクされて、福音宣教の面でも神秘体験の面でもトップレベルにあった彼は、一体どのようにしてそれだけの力を得ていたのだろうか。南インドにおいて彼の通訳を常に務めていた親友のビンセント デビットは、一時期ヒマラヤ山中でサンダー・シングと静かな日々を送ったときのことを次のように回想している。「サンダー・シングが、シムラで何日か一緒に過ごせないかと誘ってくれたので、私はその招きに応じた。村を抜けて行く時、私は彼がその地方の人々にどれだけ大切にされているかを知って驚いた。あちこちから人が出てきて、彼に握手を求めて丁寧に挨拶した。サドゥー(サンダー)は、微笑と一言か二言をもって、人々に挨拶を返した。

朝日が昇る頃に私たちは家の外に椅子を出して新約聖書を読み始めた。彼はウルドゥー語新約聖書を、私は英語聖書を読んだ。彼は15分から20分、一つの節について瞑想した。サンダーは、彼が3年間使っていたウルドゥー語新約聖書をくれた。すべてのページに青鉛筆でたくさんの印が付いている。カバーがボロボロになり、どれほど彼が聖書を使っていたかを思わせるものだ。

その中に、今にもちぎれそうなシダの葉が押し葉として閉じてあった。こんなか弱い葉を大事にしているのかと思った。彼はよく言ったものである。『一体、こんな 美しい葉を人間の手で作れるものだろうか。これをお創りになったのは神だ。神がこれを谷間に茂らせているのだよ』と。〜以上

最近は聖書を音読したソフトが販売されており、私もそれを流して、同じ章を何度も繰り返し聞いています。するとそこに疑問が出てきたり、この言葉はどういう意味だろう?この言葉は前にも聞いたことがある〜そんなことを思います。疑問があれば、繰り返し聴きながら聖書を調べ、読み返すことが本当に大切であることを感じています。

サンダー ・シングは、15分から20分、一つの節に瞑想したとあります。彼の話しを読むと、ただ15〜20分を瞑想したのではなく、ときに一節を何週間もかけて生活の中や自然界の中で思いめぐらすことが多々あったのだと感じます。

聖書の一節は、深く深く探るべきで、それを生活の中でしっかり「食べる」(咀嚼する)ことの大切さを主イエスも言っていました。この咀嚼こそ、私を含め今のキリスト教会に不足していることではないでしょうか。

ヨハネによる福音書6章 
53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。

54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。(新共同訳)

イエスの肉(ことば)をしっかりと食べ、我が身にその命を受け継ぎたいのです。

f:id:AdonaiQuoVadis:20181027104331p:image