神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

映画 パウロ 〜愛と赦しの物語〜2

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Ⅱコリント12:7

そして、その啓示があまりにもすばらしいために、わたしが高ぶり過ぎないようにと、肉体に一つの※とげが与えられました.それは、わたしが高ぶり過ぎないように、わたしを打つためのサタンの使いなのです。(回復訳)

※「古典ギリシャ語では頻繁に、くい、柱の意味に使われた」(ビンセント)。あるいは「先の鋭くとがった杖」(アルフォード)。ここでは、彼の目の病のような、肉体的苦痛を言っているのでしょう~回復訳フットノートより

ガラテヤ4:15

それなのに、あなたがたの喜びは今どこにあるのですか? というのは、わたしはあなたがたについて証ししますが、あなたがたはもしできることなら、自分の※目をえぐり出して、それをわたしに与えたい、とまで思ったのです。(回復訳)

映画パウロを観ました。映画では、奇跡を行うパウロではなく、終始人間パウロを表現していました。それもまた今の暗い世の中には合っているようにも思いました。使徒行伝でのパウロを通した主の顕著な奇跡がクローズアップできていれば、キリスト教のローマでの爆発的な広がりについて説得力のある説明ができたとも思いました。映画では、パウロの言っていた棘の意味を目の病とともに、若い時の迫害者サウロとしての傷と捉えていました。自らを罪びとの頭と言っていたパウロにとって、殉教は救いであったのでしょうか。