神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

生命は創造主によって造られた

現代の科学は、急速に進歩発展し、何でも万能であるかのように思われています。しかし、現在の科学力では、単細胞生物の、たとえば大腸菌ですら造ることはできません。
菌の設計図は全部わかっていますし、何からできているのか、その成分もわかっています。

その成分をどのように組み合わせれば出来るかも全てわかっているのに、人類は、たった一つの生きた菌を造ることができていません。

大金をつぎ込んだ最新の実験設備を使った環境でも、ノーベル賞学者が頭を寄せあって研究しても、私たちは、大腸菌一つすら造れないのです。
それほど、生命というのは神秘な貴重な存在なのです。科学者は、何億年もの時間をかけて偶然が重なって生命ができたと説明します。しかし、その説明には、無理があることがわかってきました。なぜなら、人為的に菌の材料となる成分を配合し、最善の環境を作って、予想される偶然をそこに再現し、何万回実験しても一つの菌すら造れていないのですから。


生命細胞を構成する部品の酵素にしても、❶30 個の不変なアミノ酸を持ち、100 個の結合部分からなる短いポリペプチド鎖でさえも、20 の 30 乗、約 10 の 39 乗回にもなる試みが行われて初めて機能を持つ酵素となります。

300 個の不変部分を持ち、1000 個の結合部分からなる酵素の場合は、要求される試みの回数は 20 の 3000 乗で与えられ、それは 1 の後に0が 390 個も並ぶ数です。生命の部品とでも言うべき酵素ですら、このように造り出すのが不可能に近いのに、さらに、❷私たちはただ一種類の酵素だけを取り扱うのではなく、最もシンプルな有機体でさえ 2000 種類、私たち人類のような複雑な生物では、約 10 万もの酵素と関係しているという点でも超天文学的数になります。つまり、生命体が偶然によってできたなどと考えるのが非科学的なのです。

腕時計を作るためのバラバラの部品を全てバケツに入れて、上下に振り動かして偶然を積み重ね、腕時計を完成させてみてほしい。できるなら、やってみてほしい。生命を造り出すのは、これよりもはるかに難しく、不可能に近いことなのです。細胞を上手に造れたとしても、死んだ状態の細胞でしかありませんし、そこに生命を与えるのは、さらに難しく不可能なことでしょう。

もう生命は、偶然によってできたとは考えられません。

聖書のヨハネによる福音書6章63節には、
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と言っています。

神の言葉(意志)があり、霊を与え、命が生まれてきたのです。

また、創世記7章15節では、大洪水前に、「命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った」(新共同訳)とあります。つまり、大洪水前に、種々の生物を雌雄で箱船に入れ助けたという話です。ここでも「命の霊」という言葉が、出てきます。霊が生命体には必要なのです。

創造主は、物質から肉(細胞)を造り出すだけでなく、霊を使って生命を造り出したのです。霊の世界を否定する唯物的な科学では、造り出せないわけがここにあります。

❶❷は、生命は地球外から飛来して来たという彗星起源説をとる本『生命はどこからきたか』の資料を参考にしました。この本は、アストロバイオロジー(広く宇宙全体での生命体について考察し、生物生存の実態や生物現象のより普遍的な仕組み、生命の起源などを明らかにしようとする学問)を基礎に、宇宙全体に生命があると仮定して、生命の起源を宇宙から来たとしています。しかし、宇宙でも偶然によって生命はできないと言って良いでしょう。

生命を創造した存在は、この宇宙からのものではなく、次元を超えた存在なのでしょう。

その存在を、私たちは、創造主=神と呼んでいるのです。

伝道の書12章1節
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、」(口語訳)

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