神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

❤️栄化への実践3 〜十字架は愛のクロスだ

栄化への実践1と2では、1:天の御座の主イエスを見つめ続けるひとつの目。2:人々のために肉体を十字架につける(自分でなく隣人のために肉体を酷使する)ことで、神様が顕現する癒し隊のことをお伝えしました。

この2つを実践すれば、あなたの周囲や心に不思議な祝福と奇跡が起こり続けることがわかるはずです。これは、神様の栄光を反映し始めた証拠です。まず、あなたの周囲の人たちに影響が現れますし、不思議な祝福や奇跡が現れ続けるのです。それは、あなたの力ではなく、神様が現れたことによる神様の御業の現れです。

しかし、長尾先生のように無償で癒しをしながら旅をするなんて....という方もいると思います。大丈夫です。癒しの旅ができなくても、日常生活の中で実践はできます。その秘訣をお話しします。

旧約の時代では、旧約聖書にある数々の律法や戒めが示され、石に書かれた文字にイスラエルの民は従うことを求められました。実際、現代でもイスラエルの人口の10%以上を占めるユダヤ教のハレーディー(超正統派)は、今でも事細かに律法を守っています。

しかし、2000年前に、主イエスは、厳格に律法を守るユダヤ教オーソドックスの律法学者やファリサイ派の人々を「マムシの子」呼ばわりする場面がありました。

マタイ伝23:27-33

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。 このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。 そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。 こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。 先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。 蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。」(新共同訳‬‬)

なぜ、ユダヤ教の律法学者たちを白く塗った墓、預言者を殺した者たちの子孫、蝮の子とまで言っているのでしょうか。

心を見られる主は、細かな律法を守っていても、彼らの内側は偽善と不法で満ちているのを見抜いていたのでしょう。

マルコ伝では、主イエスは一人の律法学者の質問に、律法の真髄について答えています。

マルコ伝‭12:28-34‬ ‭
「彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。」(新共同訳‬‬)
ここでは、この律法学者をマムシの子とはよばず、「あなたは、神の国から遠くない」と話しています。それは、この人が二つの戒めの大切さを実感していたからでしょう。

金持ちの青年の話

マタイ伝19章では、金持ちの青年の話があります。

マタイ伝‭19:18-24‬

「男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」」(新共同訳‬‬)

金持ちの青年は、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。」はみな守っていると言っていました。しかし、青年の心を見られてイエスは「持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」と続けるのでした。

イエスは、「完全になりたいなら、❶持ち物を売り払い、❷貧しい人々に施し、❸天に富を積み、それから、❹わたしに従いなさい。」と4つの課題を青年に示しました。しかし、たくさんの財産を持っていた青年は、悲しみながら立ち去ったのです。青年が、「隣人を自分のように愛している」なら、この言葉を実践できたことでしょう。

「隣人を自分のように愛する」とは、本当に難しいことです。3つ目の栄化への実践として、❶〜❹を行うのは、完全になるための近道でしょう。

では、私の隣人とは誰なのでしょうか?

ルカ伝10章でひとりの律法学者が、この質問をしています。

ルカ伝10:25-37

「すると見よ、ある律法学者が立ち上がり、イエスを試みて言った、「先生、永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいでしょうか?」
イエスは彼に言われた、「律法に何と書いてあるか? あなたはそれをどう読むか?」
彼は答えて言った、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛し、自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい」。
イエスは彼に言われた、「あなたは正しく答えた.それを行ないなさい.そうすれば命を得る」。
しかし彼は、自分の義を立てたくて、イエスに言った、「それでは、わたしの隣人とはだれでしょう?」
イエスはこの質問を取り上げて言われた、「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行った.すると、彼は強盗どもの手に陥った.彼らは彼の衣服をはぎ取り、彼を打ちたたいて、半殺しにしたまま立ち去った。
たまたま、ある祭司がその道を下って来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
同じようにあるレビ人も、その場所に来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリヤ人が、彼の所に来た.そして彼を見ると、❺深くあわれみ、❻近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をした。そして自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、彼の❼世話をした。
翌日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った、『彼の世話をしてください.どんなに余計にかかっても、わたしが戻った時に払います』。
これら三人のうち、だれが強盗の手に陥った者の隣人になったと思うか?
彼は言った、「彼に❺あわれみを示した者です」。イエスは彼に言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい」。(回復訳)

隣人(πλησίον)の語義は、near, neighboringです。文字通り、あなたの隣人とは、遠く接点のない人ではなく、あなたの近くで接する人です。あなたが旅先や職場や学校生活の中で接する人は、みな隣人です。それも、裸で傷つき倒れている人=困っている人を❺深くあわれみ助けてやれと言われたのです。

傷だらけで半殺しにされた裸の人を見て、祭司もレビ人も道の反対側を通って行きました。彼らは、隣人になることもなく、介抱することもなく、まるで人間ではないラクダのように、横目で見ながら無言で通りすぎたのです。

強盗に半殺しにされた人の隣人となり、❺あわれみを示した者は、ユダヤ人に嫌われていたひとりの※サマリヤ人でした。彼は、❺深くあわれみ、❻近づいて介抱し、宿まで手配し助けてやりました。

イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われました。

また、この箇所で大切なのは、律法学者が聞いた「先生、永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいでしょうか?」の答えとして、良きサマリヤ人について話したということです。

このサマリヤ人のように、裸で傷つき倒れている人=困っている人を❺深くあわれみ、❻近づいて介抱し、❼世話をせよ、助けてやれ、行って、あなたも同じようにしなさいと言われたのです。この実践は、永遠の命を受け継ぐために大切な行為なのです。

長尾先生のように無償の癒し旅ができなくても、困っているあなたの隣人の❻近くで❺あわれみや援助を惜しまない生き方を毎日続けることで、永遠の命に近づいていけます。隣人のために肉体を十字架につける(自分でなく隣人のために生きる)ことで、神様が顕現するのです。

また、「完全になりたいなら、❶持ち物を売り払い、❷貧しい人々に施し、❸天に富を積み、それから、❹わたし(イエス)に従いなさい」と青年に示した言葉を実践するのも、栄化(完全)に近づく大切なことなのでしょう。こう話しながら、私自身も、心で決意はついていますが、まだ実践に移せていない部分があります。

それでも、心を見られる主は、わかってらっしゃることでしょう。

ここでマタイ伝から、大切な聖句を読みましょう。

マタイ伝22章36-40

36「先生、律法の中でどれが大切な戒めですか?」
37イエスは彼に言われた、「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。

38これが大切な第一の戒めである。
39第二もそれと同じである.『自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい』。
40これら二つの戒めに、すべての律法と預言者がかかっている」。(回復訳)

 

栄化へ向けて、1:天の御座の主イエスを見つめ続けるひとつの目を開くことで、聖なる御父と麗しい主イエスを愛することができます。また、2:隣人のために肉体を十字架につける(隣人のために生きる)ことは、隣人への愛を増します。実際これが、最高の喜びなんですよ。この2つの愛のクロスで、神様が顕現します。

御神の栄光を反映する生活を継続していきたいと切に願います。

 

※サマリヤ人は、イスラエル人とアッシリアからサマリアに来た移民との間に生まれた人々やその子孫、また、サマリア教徒のことをいいます。ユダヤ教との相違点として聖地はエルサレムではなくゲリジム山であったことと、モーセ五書(トーラー)は聖典であったが他の書(ユダ王国起源のものなど)は聖典に加えなかったなどがあり、特にユダヤ教ファリサイ派とはトーラーにない宗教的規定を守るかどうかで異なっていました。

現在、ユダヤ人たちとは和睦が成立し、ユダヤ教徒の一派として認められています。

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2019.4.27撮影 天の視線

https://youtu.be/TddLq4gdNDw