神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

❤️栄化への実践9 〜あなたの隣人とは

兄弟姉妹が完全になるために、この牧師が行なった方法は?

教会の前に座っていたホームレスは牧師?

https://youtu.be/7qftpoMfe08

「「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭5:43-48‬ ‭(新共同訳‬‬)

   教会の前に座っていたホームレスは牧師?

いいえ、主イエスです。

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭25:40‬ ‭(新共同訳‬‬)

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭25:45‬ ‭(新共同訳‬‬)

 

小さい者の一人にしたことは、王である主にしたことだと言っているのです。

 

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」〜この高いハードルを越える前に、「隣人を愛す」という簡単な基本ができているかが問われています。

   頭の理解や肉の努力では、できません。ビデオを見ると不思議なことに、可哀想と思ってホームレスに近づく子どもに気づくでしょう。可哀想と思う心に、素直に従う子どものようになればいいのです。

 

   キリストの信仰による義認は、ありがたいものです。その救いを享受しているクリスチャンや教会のスタッフが、ホームレスから避けて通り過ぎる姿も見受けられます。あれこれ考えて、迷って離れて行く人もいました。

    ホームレスに声をかけることは、簡単なことです。それをやれ!と主が心で言うままに行動するだけで良いのですから。幼子がするようにあなたも御声に従い実践すれば良いのです。 

    私は、理屈っぽいパウロ書簡が、あまり好きではありません。頭や教理で理解しても、実践できない人が多いのです。

福音書から、主の言葉をとことん探りたいのです。頭でなく、心で体感したいのです。主の言葉は、直球です。このことについて、主イエスは、言っています。

「その時、イエスは答えて言われた、「父よ、天と地の主よ、あなたをほめたたえます.あなたはこれらの事柄を知恵や学識のある者から隠して、幼子たちに啓示してくださいました。」マタイ伝11:25(回復訳)

「しかし、イエスはそれを見て、憤って彼らに言われた、「小さい子供たちをわたしに来させなさい。彼らをとどめてはならない.神の王国は、このような人たちのものだからである。
まことに、わたしはあなたがたに言う.だれでも小さい子供のように神の王国を受け入れない者は、決してその中に入ることはない」。」マルコ伝10:14-15(回復訳)

   聖霊を受けた私たちは、幼子がするように御声に従い実践すれば良いだけなのです。それができないなら、それでもいいのです。その時には、「目を天に向けることもしないで、胸を打ちながら、『神よ、罪人のわたしに対して、なだめとなってください!』ルカ伝18:13と祈れば良いのですから。
「わたし(イエス)はあなたがたに言う.この者のほうがあの者(パリサイ人)よりも義とされて、自分の家に帰って行った.だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからである」。ルカ伝18:14(回復訳)と書いてあります。

    主イエスの救いに義認を受けたとあぐらをかいているクリスチャンも、主からは自分を義とするパリサイ人と同じように見られているのかもしれません。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 ****あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」とは、イエスが言っている直球の言葉です。

  「 完全な者」とは、創世記17:1でアブラハムが99歳の時に語られた聖言が、ヒントになります。

17:1さて、アブラムが九十九歳の時、エホバはアブラムに現れて言われた、「わたしすべてに十分な神である.  わたしの前に歩み、完全でありなさい。」(回復訳)