神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️栄化への実践16 〜言は肉体と成って、幕屋を張られた

ヨハネ伝1:14

そして❶言は肉体と成って、わたしたちの間に❷幕屋を張られた.わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であって、恵みと実際に満ちていた。(回復訳)

ヨハネ伝1:14 は『❶ことば(λόγος:ロゴス)は、肉体と成ってわたしたちの間に❷幕屋(仮庵)を張られた(ἐσκήνωσεν)』です。
ギリシャ語σκηνόω:スキノウは、ヘブライ語のסוכות(Sukkot:スコット=仮庵)から来ていて「幕屋(仮庵)を張る」という意味の動詞です。「神と人が❷幕屋(仮庵)で共に住む」意味で使われています。

❶ことば=ロゴス(λόγος)は、肉体と成ってわたしたちの間に❷幕屋(仮庵)を張られた(ἐσκήνωσεν)のです。ことばとは、イエス・キリストを指しています。

仮庵(スコット)は、イスラエル出エジプト時代の荒野での姿であり、この世での一時の生活を仮庵と重ねています。ユダヤでは、収穫期に仮庵の祭り(スコット)を行い、盛大に祝います。その時、四種の植物を束ねたルーラブを四方、上下に振り、来年のすべての植生のための豊かな降雨を祈ります。

その四種の植物については、レビ記23:40に書かれてあります。

「初めの日に、❸美しい木の実と、❹なつめやしの枝と、❺茂った木の枝と、❻谷のはこやなぎの枝を取って、七日の間あなたがたの神、主の前に楽しまなければならない。」‭‭レビ記‬ ‭23:40‬(口語訳‬‬)

この四種の植物は、ラビ・マニが、ミドラッシュVayikra Rabbah 30:14で、「❹ナツメヤシの枝は人間の❹背骨に似ています。❺茂った木の枝=ミルトスは❺目に似ています。❻はこやなぎ=川柳は❻口に似ています。そして❸美しい木の実=エトログ(シトロン)は❸心臓に似ています。」と言っています。

この四種の植物は、四つの身体の器官を示します。気がついている方は、少ないかもしれませんが、この四つの身体の器官の重要性は、主イエスは山上の垂訓やルカ伝6章で述べられています。

 

ルカ伝6章

【目から梁を除いて❺霊眼を開け】

6:39イエスはまた一つのたとえを語られた、「盲人が盲人を手引きすることができようか? 二人とも穴に落ち込まないだろうか?
6:40弟子は師にまさることはない.しかし、❼成就された者はすべて師のようになる。
6:41なぜ、あなたの兄弟の❺目にあるちりを見ながら、自分の❺目にある梁に気づかないのか?

6:42自分の❺目にある梁を見ないで、どうしてあなたの兄弟に向かって、『兄弟よ、あなたの❺目にあるちりを取らせてください』と言うことができようか? 偽善者よ、まずあなたの❺目から梁を取り除きなさい.そうすれば、あなたははっきり見えるようになって、あなたの兄弟の❺目にあるちりを取り除くことができる。

‭‭ルカ伝の山上の垂訓には、ありませんが、マタイ伝6:22には、❺単一の目について、「目は、体のともし火」の記事があります。「盲人が盲人を導く」ルカ6:41、「❺目から梁を取り除く」ルカ6:42は、どれも霊眼について語っているのです。詳しくは、今までこのブログで説明してきました。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/01/12/013803

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/09/30/073208

【良い木は、❸良い実を結ぶ】
6:43良い木で腐った❸実を結ぶものはなく、また腐った木で❸良い実を結ぶものもない。
6:44木はおのおのその❸実によってわかる。いばらからいちじくを集める者はなく、いばらのやぶからぶどうを摘む者もない。

良い木は、キリストに繋がる良い人であり、脊骨がキリストである幹に繋がっています。彼の心から❸良い実が結ばれます。❸良い実とは良い行いです。シトロンは、美しい木の実です。良い行いは、良い心(心臓)から溢れ出てくるものです。良い心(心臓)とは主イエスの御心です。

心臓については、まだ話さなければならない体験がありますが、のちに触れていきます。

【❸心にあふれ出たものを、❻口が語る】
6:45良い人は彼の❸心の➓良い倉から良いものを取り出し、悪い人は彼の❸心の⓫悪い倉から悪いものを取り出す.というのは、❸心にあふれ出たものを、❻口が語るからである。

心には、➓良い倉と⓫悪い倉があります。マタイ伝16章でペテロが天の王国の鍵を受けた記事とサタン呼ばわりされた記事がありますが、そこに➓良い倉と⓫悪い倉のヒントがあります。

マタイ伝16章

16:16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたはキリスト、生ける神の子です」。
16:17すると、イエスは答えて言われた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いである.あなたにこのことを啓示したのは⓫血肉ではなく、天におられる➓わたしの父である。

ペテロにこのことを啓示したのは⓫血肉ではなく、天におられる➓わたしの父であるとは、人からではない神の啓示を語ることが、天国の鍵を受ける秘訣です。➓良い倉とは、➓神からの啓示を受ける❸心の門で、神からのことばを蓄えた倉であります。

次に十字架の死について予言したイエスに  対して、ペテロは失言します。

16:22するとペテロは、イエスをわきへ引き寄せ、いさめ始めて言った、「主よ、神があなたをあわれんでくださいますように!そのようなことは、決してあなたに起こるはずはありません!」
16:23イエスは振り返ってペテロに言われた、「⓫サタンよ、わたしから退け! あなたはわたしをつまずかせるものである.あなたは➓神のことを思わないで、⓫人のことを思っている」。

⓫悪い倉とは、人の考え方であり、⓫人のことを思うことです。それはサタン呼ばわりされるほど、罪深いのかもしれません。反対に➓良い倉とは、➓神のことを思うこと。つまり、神の思い、神の視点を持ったとき、十字架の死も受け入れ、従うということでしょう。しかし、人間の思い、人間の視点では、ペテロのように

十字架の贖いの死はありえないことだと考えて邪魔してしまうのです。

 

続けてマタイ伝16章を解説します。

16:24それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、⓫自分を否み、自分の➓十字架を負い、➓わたしに従って来なさい。
16:25⓫自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、➓わたしのために自分の魂の命を失う者はそれを見いだす。(回復訳)

〜⓫自分のψυχὴν(魂・命)を救おうとする者とは、自分の人間的な思いで生きたい人のことでしょう。「魂」とは、「理性、性格、感情、意識、記憶、知覚、思考」を意味します。

また、➓わたし(イエス)のために自分のψυχὴν(魂: 理性、性格、感情、意識、記憶、知覚、思考)を失う者はそれを見いだすのです。

ここでは、まだψυχὴν(魂・命)であり、ヨハネ伝12:25のζωῆς(永遠の命)までの段階ではありません。 

自分のψυχὴνを否み、➓神のことを思うこと。イエスのψυχὴν(魂: 「理性、性格、感情、意識、記憶、知覚、思考」)で生きることを示しています。

6:45は、良い人は、イエスご自身であり、聖霊を通してイエスの❸心の➓良い倉から良いものを取り出します。悪い人は、肉のアダムで彼の❸心の⓫悪い倉から悪いものを取り出すということでしょう。❸心にあふれ出たものを、❻口が語るようになるので、自分のψυχὴνを否み、聖霊が語るままに、➓神のことを思い神に委ねること、イエスのψυχὴν(魂: 「理性、性格、感情、意識、記憶、知覚、思考」)を受けて語る❻口を持つことです。

このとき、ヨハネ伝1:14の「❶言は肉体と成って、わたしたちの間に❷幕屋を張られた.」が始まるのを感じ出します。

聖霊を受けると、私たちの魂は、イエスのψυχὴν(魂: 「理性、性格、感情、意識、記憶、知覚、思考」)へと変えられていきます。❶言が肉体と成って、わたしたちの間に❷幕屋を張る体験をすることでしょう。

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「❶言は肉体と成って、わたしたちの間に❷幕屋を張られた.」これが本当のクリスマスなのですね。