神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

聖アントニウスとその奇跡力

聖大アントニウス(ギ: Αντώνιος, ラ:Antonius、251年頃 - 356年)、キリスト教正教会非カルケドン派カトリック教会・聖公会ルーテル教会の聖人。このアントニウスという名前は、ana (上に)、tenens (保持している)、の合成語で、「上なるものを保持し現世を軽蔑する者」を意味すると言われます。

紀元251年、エジプトのコーマで生まれ、敬虔なキリスト教徒の両親に育てられましたが、20歳になった頃両親と死別しました。一家は裕福で、両親は高貴な身分を有していましたが、両親の死後、彼のもとには幼い妹が残されました。 両親の喪があけると、教会で福音書のみ言葉を聞きました。 「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に宝を持つようになろう。 そして、わたしに従ってきなさい。」(マタイ伝19:21) 彼はこの言葉に感動して、教会を出るとすぐに家へ帰り、両親の残してくれた土地をすべて村の人々に与え、家財については自分と妹の分だけ残し、残りは貧しい人に恵んだと言います。 彼はふたたび教会に戻ると、今度は同じ福音書の「だから、あすのことを思いわずらうな。 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。 一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ伝6:34)というみ言葉を聞き、「もう何も悩むことはない」と考え、二人のために残していた❶わずかな家財も人々に与え、妹は知合いの修道女にその養育をたのみ、自らは砂漠に籠もり苦行生活に身を投じました。

彼は世界から隠遁し、隠者を訪問し、頻繁に❷断食、❸祈り、瞑想をし、❹少しのパン、塩、水だけで生きていました。 瞑想と祈りの生活を送りましたが、305年頃、アントニウスが町で行った説教に心を打たれた修道僧らと開いたのが修道院の始まりだと言われます。多くの人々が彼の弟子になりました。彼は多くの修道院を設立し、修道士を訪問し、彼らに「完全になるための道をたどるよう」に勧めました。

60歳を越えたアントニウスは、修行の地としてコルズム山に向い、頻繁に奇跡を起こしています。後になって、彼が病気(特に丹毒やペスト)を治す聖者として崇めらましたが、それは彼の起こした奇跡の大半が病気の癒しだったことからでしょう。
アントニウスが死去したのが356年、❺105歳でした。 その間のおよそ40年間は修道士の教育、病気の治癒、苦行の繰り返しの毎日であったと言います。当時105歳というのは、驚くほどの長寿です。

彼は、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に宝を持つようになろう。 そして、わたしに従ってきなさい。」(マタイ伝第19:21) 「だから、あすのことを思いわずらうな。 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。 一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイ伝6:34)のみ言葉に、財産を村人に分け与え、❶わずかな家財も貧しい人々に与えました。財産もないのですから、食べ物も買えません。世界から隠遁し、隠者を訪問し、頻繁に❷断食、❸祈り、瞑想をし、❹パン、塩、水を少しだけで生きる状況が、彼の遺伝子に影響し、長寿をもたらしたと考えられます。これは、現代医学でもわかってきたことです。

また、彼は頻繁に奇跡を起こし、奇跡の大半が病気の癒しだったと言います。❷断食、❸祈り、瞑想をし、❹少しのパン、塩、水で生きる状況が、奇跡力にも影響することがわかります。奇跡を起こす遺伝子があるのでしょうか。❷断食、❸祈り、瞑想が、キリストと近く接触するための良い方法なのは、カイラスの大聖にも共通して見られます。絶大な救いの源泉であるキリストに近接することが、大聖の奇跡力の理由だと思います。

今日1月17日は、彼の記念日でした。

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*聖アントニウス

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/07/18/213823