神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️祈りの中で121 〜後の者になれ

祈りの中で「見よ、❶後の者が先になり、❷先の者が後になるであろう。」ルカ伝13:30 (回復訳)について譬え話を示されました。

イエスはこの質問を取り上げて言われた、「❸ある人が、エルサレムからエリコへ下って行った.すると、彼は強盗どもの手に陥った.彼らは彼の衣服をはぎ取り、彼を打ちたたいて、半殺しにしたまま立ち去った。
たまたま、ある❹祭司がその道を下って来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
同じようにある❺レビ人も、その場所に来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたある❻サマリヤ人が、❸彼の所に来た.そして彼❸を見ると、❼深くあわれみ、近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をした。そして自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、❸彼の世話をした。
翌日、❻彼は*デナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った、『❸彼の世話をしてください.どんなに余計にかかっても、わたしが戻った時に払います』。
これら三人のうち、だれが強盗の手に陥った者の隣人になったと思うか?」
彼は言った、「❸彼にあわれみを示した者です」。イエスは彼に言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい」。ルカ伝 ‭10:30-37‬ (‭回復訳‬‬)

強盗に襲われた❸ある人は、イエスに質問をした❸律法学者(10:29)を象徴します。❷先の者、つまり❹祭司や❺レビ人は、神殿の勤めに当たる者たちで、汚れを気にする者たちで、瀕死の❸被害者に声すらかけずに、道の向こう側を通りすぎました。しかし、❶後の者、❻サマリヤ人は、❼深くあわれみ、被害に遭った旅人に近寄って、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、❸彼の世話をし介抱しました。 ❻サマリヤ人は*デナリ銀貨二枚を宿屋の主人に渡して、帰りにも宿に寄って費用を払いました。

*二デナリオンは、当時の労働二日分の代価でした。

❹祭司や❺レビ人は、モーセ時代から、アロンの監督の元で旧約時代に幕屋や神殿での奉仕に従事しました。彼らは、声すらかけず通りすぎるのでした。❷先の者たちです。

しかし、❶後の者である❻サマリヤ人は、❸その人を見て❼深くあわれみ、介抱し、宿の主人に救いの代価を払うのです。

福音書には、他にも「❶後の者、❷先の者」の記事がたくさんあります。

「彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん❷先になりたい者は、すべての人の❶後になり、すべての人に❻仕える者になりなさい。」」‭‭マルコ伝9:34-35‬ ‭(新共同訳‬‬)

「しかし、多くの❷先の者は後になり、❶後の者は先になる」。さて、一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは彼らに先立って行かれた。それで彼らは驚き、従う者たちは恐れた。彼は再び十二人をわきへ連れて行き、ご自分に起ころうとしている事を彼らに語り始められた.
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行く.そして人の子は、❹祭司長たちや❸聖書学者たちに渡される。彼らは彼を死罪に定め、彼を❽異邦人に引き渡す.」マルコ伝10:31-33(回復訳)

イエスの命は、❹祭司長たちや❸聖書学者(律法学者)たちに渡されましたが、彼ら(❷先の者)はイエスを死罪に定め、イエスを❽異邦人に引き渡したのです。

「しかし、あなたがたの間では、そうであってはいけない.だれでも、あなたがたの間で偉くなりたい者は、あなたがたのしもべとなり、
あなたがたの間で❷第一になりたい者は、すべての人の奴隷となりなさい。
というのは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価として、➓自分の命を与えるためだからである」。マルコ伝10:43-45(回復訳)

旧約の❹祭司や❺レビ人は、モーセ時代から、幕屋や神殿での奉仕に従事する者で❷先の者たちでした。しかし、❹祭司長たちや❸聖書学者(律法学者)たちは、神から遣わされた御子イエスを死罪に定め、イエスを❽異邦人(ローマ人)に渡されたのです。

さて、❶後の者である❻サマリヤ人は、当時❽異邦人でありましたが、❸災難に遭った人を見て❼深くあわれみ、 介抱する無私の愛を持つ❻仕える人でした。❷第一になりたい者(❹祭司や❺レビ人のように❷先に行きたい者)は、すべての人の奴隷となりなさい。人の子(イエス)が来たのも、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価として、➓自分の命を与えるためだからだと言っているのですね。後の者である❻サマリヤ人は、無私の愛の人であり、イエスが来たのも、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価を払うためでした。

「❶後の者、❷先の者」と「❾贖いの代価」についての譬え話が他にもあります。

「夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼んで、❶最後の者から始めて❷最初の者まで、賃金を払ってやりなさい』。
そこで、午後五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ*一デナリを受け取った。
❷最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思った。ところが、彼らもそれぞれ*一デナリを受け取った。彼らはそれを受け取ると、家の主人につぶやいて言った、『この❶最後の者たちは一時間働いただけなのに、あなたは、この日の労苦と焦げつく暑さに耐えたわたしたちと同じようにされました』。しかし彼は、❷彼らの一人に答えて言った、『友よ、わたしは❷あなたに対して何も不義を行なってはいない。あなたはわたしと*一デナリの約束をしたのではなかったか?❷あなたのものを受け取って行きなさい。わたしはこの❶最後の者にも、あなたと同じだけ与えたいのだ。自分のものを自分がしたいようにするのは、不法であるのか? それともわたしが善であるので、あなたの目は邪悪なのか?』

このように、❶後の者は先になり、❷先の者は後になるのである」。マタイ伝20:8-16(回復訳)

*一デナリは、❾贖いの代価(人生の代価)を表していて、一家の主人(救い主)が❷先の者にも❶後の者にも公平に与えています。しかし、❶後の者は、❻サマリヤ人のように無私の愛を持ち、❼深いあわれみを持つ人なのでしょう。❻その人は、「自分自身のように、隣人を愛す」る人でした。❻サマリヤ人は、キリストの豊かな救いの福音をもたらし、❾贖いの代価であるデナリオン銀貨二枚を❸強盗に遭った人や宿の主人にも分け与えました。福音とは、強盗どもの手で衣服をはぎ取られ、半殺しになった隣人を❼深くあわれみ、無私の愛を示し❻仕えることなのでしょう。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、❻仕えるためであり、多くの人の❾贖いの代価として、➓自分の命を与えるためだからです。

 

「❸彼は答えて言った、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛し、自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい」。
イエスは彼に言われた、「❸あなたは正しく答えた.それを行ないなさい.そうすれば命を得る」。」ルカ伝10:27-28(回復訳)

祈りの中で示された譬え話で❶後の者が先になり、❷先の者が後になる意味が少しわかりました。感謝主!