昨夜、私は一人で祈っておりましたら、神様は私にはっきりと告げられました、「今のキリスト教は、信仰を思想や神学のこと、教理のこととし、多くの人がキリスト教の思想や神学を伝えることが伝道だと思っている。しかし、おまえはそのようなことはするな。❶おまえはわたし自身を伝えよ」と。
もったいないと思いました。人の多い中で、キリストはなぜ私のようなものを通して現れようとしておいでになるのか、私は感激でした。高遠な宗教思想や神学的解釈を述べるとなると、私は頭が悪いし、本を読む暇もそうありません。けれども、目にこそ見えませんが、この55年間、私に伴いたもうた方を伝えることでしたら、私にもできます。私は世にある限り、今も生きて語りかけてくださるキリストだけを伝えて参ります。
ヨハネ伝15:8で「あなた方が実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる」と言われています。ですから、キリストの弟子と言われるほどの人間ならば、❷イエスに結んだような不思議なカリスマ的な実が内にも外にも結ばれ、小さくともキリストの面影を宿すような人間でなければなりません。〜手島郁郎 師のことば「生命の光」2021年3月号の記事より
「❶おまえはわたし自身を伝えよ」とは、素晴らしい回答です。今、日本人に必要なのはキリスト教ではなく、キリストご自身です。
「❷イエスに結んだような不思議なカリスマ的な実が内にも外にも結ばれ、小さくともキリストの面影を宿すような人間でなければなりません。」とは、まさに自分に語られているレーマであります。感謝です。
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