神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

新しい二つのエルシャライム ~その特徴1

 また、聖なる都、❶新しいエルサレムが、夫のために着飾った❷花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、❸天から下って来るのを見た。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、❹神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、❺神自ら人と共にいまして、
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、❻死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。❼かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。  ~黙示録21:2-6

 この箇所から、❶新しいエルサレム(原文:エルシャライム 双数形)の特徴について見とりましょう。新しいエルシャライムは、❷花嫁たるわれわれエクレシアが用意するものではありません。❸天から下ってくるわれわれへの恩寵である聖なる都なのです。それは、❹神の幕屋が臨在で満ちたように、天の神の強い臨在であり、❺神自ら人と共にいまして、❻死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない御国の福音が実現するところです。それは、人知を超えた異次元の未体験の臨在であり、死すらも逃げて行ってしまうほどです。なぜなら、神が確かに共にいてくださるからです。神のいらっしゃるところこそ天国だからです。神とともに歩むことでエノク、エリヤは天に引き上げられました。われわれも、ご臨在が満ち続ける新しいエルシャライムで神とともに過ごすことで、天に引き上げられることになるでしょう。これが、携挙と言えるかもしれません。❼いのちの水の泉から、その源泉から価なしに飲めるのです。
 エルシャライムには、 יְרוּשָׁלַיִםとיְרוּשָׁלַם があります。その違いに注意することです。前者が黙示録21、後者がゼカリヤ9:9を例示しました。同じエルサレム(エルシャライム)でも前者の黙示録では、2つ目のユッドがはいり、双数形です。ここに2つの聖都があることがわかります。これが黙示録に付け加えても、引いてもならないと言わしめた一点一画、大切な一文字なのです。 つづく。

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