神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

💛福音の本質『神の国』を伝えよ ~このブログで伝えたいこと 過去FBより

福音とは、「 イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ」と言われています。
 しかし、いつも気になっていることがあります。伝道集会では、悔い改めやイエスの十字架の御業による罪の赦しはよく耳にします。しかし、神の国については、どの程度伝えられているのでしょうか。礼拝の説教でもほとんど聞こえてきません。マタイ伝には、終末の前段階として、「御国の福音」が全世界に宣教されると言っています。
マタイ24:14「また、すべての民族に対する❶証しとして、❷天の国のこの福音が全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」。マタイ24:14(原文校訂口語訳)とあります。
 すべての民族に❷御国の福音が❶証し=証言として、伝えられなければならないのです。
❷「天の国のこの福音」(御国の福音)とは何なのか。
 イエスの福音のはじめ、開口一番は、「❸神の国は近づいた。悔い改めて❹福音を信ぜよ」マルコ1:15でした。 キーワードは「❸神の国は近づいた」です。ここでは「❹福音(Good News)」ということばが唐突に出てきますが、この時は、イエスの十字架刑もまだ起きていないときで、これは前にある句「神の国が近づいた」を指しているとしか解釈できません。
 四福音書での福音(Good News) は、まさに「神の国」を指しているのです。特にマタイ福音書では、神の国(御国、天国)が行間にあふれています。マタイ福音書での単語数は、神の国x5 天国x33 御国x12 計50です。ちなみに 十字架x16 悔い改めx6 ですので、神の国(天国・御国)の重要性が伝わってきます。
 これを見ても福音の本質は「神の国(天国・御国)」であることがわかってきます。
 山上の垂訓でも、最初に「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」と言っています。
 天国は「良い種」「からし種」「パン種」「畑に隠した宝」「良い真珠」「魚を囲み入れる網」「王のしもべたちとの決算」「葡萄園の労働者集め」「王子の婚宴」「10人のおとめの花婿の出迎え」「しもべに預けた財産(タラント)」などイエスのたとえ話のほとんどを占めます。
 「主の祈り」でもみ名を賛美したあと2番目に「御国が来ますように」が出てきます。
 マタイ福音書では「神の国」こそが、メインテーマです。
 では、神の国(天国・御国)とは、いったい何なのか。死んであの世で見る天国なのでしょうか。どうもそうではありません。
 12弟子を村々に宣教旅行させたときの聖句を見てみましょう。
マタイ10:7-8より
「行って、❺『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
❻病人をいやし、❼死人をよみがえらせ、❽らい病人をきよめ、❾悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい」。

 ここでの宣教内容で「悔い改めよ」とは言っていません。「❺天国の接近」だけになっています。それも、宣教の具体例が「❻いやし ❼よみがえり ❽きよめ ❾悪霊追い出し」の4つになっています。ここでわかるのは、天国とは、現世での病、死、ライ病、悪霊からの解放であるということです。
 また、12章ではイエスはこう言っています。
マタイ12:28より
「しかし、わたしが❿神の霊によって⓫悪霊を追い出しているのなら、⓬神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」。

 言い換えると⓬神の国が来るとは、❿神の霊によるもので、⓫悪霊など人々を苦しませる苦悩から解放するものであるのです。ここで、「すでにきた」と言っていますのでこの世に「神の国」がきたのです。それは上の聖句から、「神の霊の力ある働き」であることがわかります。
 神の霊=聖霊であるなら、使徒行伝での聖霊降臨以降の目覚ましき奇跡事例の頻出も神の国の顕現なのです。これは以前にも書きましたが、「神の国(Kingdom of God)」 のKingdomとは神の支配下にはいることでもあり、そのためには聖霊の扶助が必要です。「神の霊(聖霊)」の顕現こそ神の支配である「神の国」に入るため不可欠なものなのです。
マタイ伝の最後を見ますと、
マタイ28:18-20より
 イエスは弟子たちに近づき、次のように仰せになった、「わたしは⓬天においても地においても、すべての権能が与えられている。
それ故、あなたがたは行って、⓭すべての国の人々を弟子にしなさい。⓮父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け、わたしが⓯あなた方に命じたことを、守るように教えなさい。わたしは代(世)の終わりまで、⓰いつもあなた方とともにいる」。(原文校訂口語訳)
 ここでイエスは、⓬天地での権能をご自分が得たこと⓭すべての国の人をイエスの弟子とすること(牧師の弟子ではない)⓮父と子と聖霊の名に入れる(「よる」ではない。つまり御名の支配下に入れること)洗礼を授けること(これは、聖別して神の本性にあずかるバプテスマをするということ=水と霊によるバプテスマであるべき。ヨハネバプテスマだけではない。使徒たちが御霊のバプテスマにこだわったのを思い出すべきです)また⓯イエスが命じたことを守ること を指示しています。
 そして最後に主イエスは ⓰いつもともにいる!とありがたくも約束しています。ハレルヤ! 
 また⓬の権能については、マタイ9:2-7で、9:2「すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。  中略  「しかし、人の子は⓱地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。すると彼は起きあがり、家に帰って行った。」とある。イエスには、なんと⓱「罪をゆるす権威」があると言いきっています。ハレルヤ!イエスこそ罪赦す権威をもった真の救い主です!
 病気や死、悪霊からの解放だけでなく、罪からの解放もともなう。これこそが福音の真髄であります。
 マタイ福音書をまとめると、神の国とは神の霊による 病のいやし、死人の復活、ライ病のきよめ、悪霊の追い出し、罪のゆるしです。「神の国はことばではなく、力にある」Ⅰコリント4:20。
 バプテスマのヨハネが、イエスに躓いたとき、イエスはマタイ11:5で「 盲人は見え、足なえは歩き、 らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされて いる。」あなたの見たとおりだ! とヨハネの使いに言いきっています。現実に神の国の力がなければ、ことばだけの慰め事でしかない。しかし、お前が見てる通りをヨハネに伝えろ!と言える。これが神の国の福音です!
 すべての民族に❷御国の福音が❶証し=証言として、体験的に伝えられなければならない。言葉遊びでない。事実、盲人が見え、足萎えが歩き、ライ病人がきよまり、耳しいが聞こえ、死人が生き返り、貧しい人々が体験として天国を見ること=「御国の福音」でなければならない!イエスの権威が実際に現れるものでなければならないのです。
 イエスから初代教会で出現した爆発的な神の霊の降臨、神の国の力にあふれる福音が実現するならば、人々の方から救いを求めて集まってきます。そのような福音宣教が終わりの時代に地の果てまで伝えられなければならないのです。
以下ナイジェリアでの Reinhard Bonnke師の福音宣教をシェアします。

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