神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

イエスの血 ~私たちを呪いからあがなう奇跡9 FB再

 オカルトサイトに情宣しているとき、何度か呪いをかけられることがありました。イエスの名によって呪いはお返ししました、否、主が代わりにお受けになりました。われわれイエス=キリストを心に受け入れた者には、呪いはかかりません。なぜならイエスは十字架上でわれらの呪い(死、裁き、病、労苦、苦痛、悩み、別離、不幸...)のすべて、もう一度言いますが「すべて」主がお受けになったからです。そして、主の注がれた血によって呪いを消されたのです。
《イエスの血》
 十字架に架けられる前後で、イエスは多くの血を流されました。ゲツセマネから十字架での死に至るまでに。それぞれに大切な意味があります。ここでは、「いばらの冠」に焦点を当てて書きます。
~呪いの象徴「いばらの冠」~
 イエスに対して「ユダヤ人の王」とあざけり、かぶせたいばらの冠のとげが、イエスの頭や額にささり、聖なる血潮が流れ出た。いばらはアダムとエバが神のみことばにそむき、罪人となった時に「土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べなければならない。」創世記3:18と神が言われたことから、「呪い」の象徴でした。実際、中東のいばらはとげが長く、それが刺されば頭の出血量は多いものです。いばらの冠で流れる血は、イエスの❶頭をおおい、❷目に入り、❸耳に入り、❹鼻をつたい、❺口にも入り、❻のどをつたい、釘で打ちつけられた❼手からの血と合わさり、❽胸に流れ、❾腰をつたい、釘で打たれた❿足と⓫かかとにも及び、 ⓬土地にまで流れ落ちました。その時、アダムとエバが知恵の実を見てうるわしいと思い(❷目)、その香りに誘われ(❹鼻)、悪魔のあまい言葉を聞き(❸耳)、そして何よりも呪いと罪をもたらす人間の不従順の考え(❶頭)や実を採り(❼手)食べ、言い訳した(❺口)、裸である恥に隠した(❾腰)、神である主を避けた(❿足)の罪が、その血潮によってゆるされました。また創世記にある「彼の(⓫かかと)に咬みつく」「産みの苦しみ(❾腰)」「(⓬土地)はおまえ(アダム)のゆえに呪われた」それぞれの呪いは消されました。イエスが引き受けてくださった「いばら」=「呪い」は、私たちがかぶるべきものだったのです。しかし、主イエスは人の子となられ、十字架上で私たちの代わりに全ての罪と呪いをお受けになられました。その聖なる血の代価によりわれらの呪いは、その罪とともに清められました。それは、イエスの血潮により贖われたということです。
ガラテヤ3:13-14「 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」~新改訳
イザヤ53:4「まことに彼(イエス)は、私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」
 呪いは全て主イエスが引き受けられ、その血潮によって呪いを取り除かれたのです。これを知り、体験し、悔い改め、もう二度と目、耳、鼻、頭、口、手、足、踵、腰の誘惑に陥らないようになったのです。そして呪われた土地も、今はエデンのように祝福された土地になったのです。もう一度言います。すでにキリストは、異邦人であっても信じるわたしたちのためにすべての呪い(死、裁き、病、労苦、苦痛、悩み、別離、不幸...)をその血潮によって代価を払い解決されたのです。あなたは、それにふさわしく罪をおかさずに歩めばいいのです。もう一度言います。イエスとともに歩む者(すでに天国に住む人)を裁いたり、呪うことは不可能です。自らの呪いをあがなってほしければ、イエスに願うことです。どうぞあなたも呪いを祝福に変えてもらってください。
 (過去のFB記事より)

f:id:AdonaiQuoVadis:20160412204444j:plain

 

f:id:AdonaiQuoVadis:20160813232846j:plain