神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

Quo vadis,Domine?主よ、どちらへ! ~ペテロの殉教 FB改

ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペテロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペテロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペテロは驚き、ひざまずき、尋ねた。
Quo vadis, Domine? (主よ、どこに行かれるのですか)」
キリストは言う「あなたが私の民を見捨てるなら、私がローマに行ってもう一度十字架にかかるであろう。」
 ペテロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷うことなく元来た道を引き返した。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教したのである。
 ペテロは死んだが、それはキリスト教の発展の契機となり、彼はカトリック教会において初代のローマ法王とされている。

(阿部知二他編 『西洋故事物語 上』 より)

 ペテロは、ローマで異邦人宣教のために命を捨て、ローマを勝ち取る礎になりました。イエスの言われた通り「人間をとる漁師」になったのです。
 ヨハネ福音書13:36では、十字架の死に向かうことを暗示したイエスに対して、ペテロは同じことばを言っています。「シモン・ペテロがイエスに言った、『Quo vadis, Domine? (主よ、どこにおいでになるのですか)』イエスは答えられた、『あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、✤あとになってから、ついて来ることになろう』。」紀元67年、ローマでのペテロの殉教により、この預言は成就したのです。
 鶏が二度鳴く前に三度否んだあのペテロのために、イエスは忍耐強く、道を示されました。「もう一度十字架にかかる」と言われたイエスのために、ペテロは迷うことなく自ら十字架へと向かったのです。
 私はペテロのように、でしゃばりで臆病者であります。また何度もイエスを裏切った者です。聖霊を受けてからも、信頼していた牧師が罪を犯し、失踪したことをきっかけに、30年以上教会へは行かなくなりました。世にそまり、罪深く生活していました。  

 しかし主は、不思議な方法で私の信仰を復興してくれました。伝承で、主が「もう一度十字架にかかりに行こう」とペテロに言った言葉は、救いのためなら何度でも十字架にかかろうとする主の本心からのご愛を感じます。本当に救われた思いで涙が出ました。イエスの御心は、何と愛に満ちているのだろうか。それにくらべ、この私は神の前に本当に恥ずかしい人間です。
 道を歩いていると、犬の糞を見ることがあります。それを見て、あなたはどう思うだろうか。「汚いな」「マナーの悪い飼い主だな」いろいろあるでしょう。私はいつもこう思っています。「あっ。これは私だ」と。神の前に糞に等しい者だと。
こんな者ですが、せめてペテロのように、十字架の道に引き返したいものです。どうぞこんな者のためにお祈りください。
 ※A.D.67年 ネロ帝の迫害下逆さ十字架で殉教したペテロ

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