神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

レーマを読み解く9  ~山を動かす 奇跡20

「山を動かす信仰」とは、説教を聞いているのでは信じられないのが、一般人の本音だろう。実際に山が動くのを見てみましょう。このマルコ11章の珠玉の聖句は、旧約のイザヤ書41章と対になっているのです。この箇所は原文に近い回復訳で見る必要があります。

マルコ11:22-24

22イエスは答えて言われた、「❶神を信じなさい。

23まことに、わたしはあなたがたに言う.だれでも❷この山に向かって、『❸取り去られて(持ち上げられて)❹海に投げ込まれよ』と言い、❺心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるなら、❻そのとおりになる。

24こういうわけで、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが祈って求めるものは❼すべて、受けたと信じなさい.そうすれば、そのとおりになる。(回復訳)

 

イザヤ41:13 

13まことに、わたしエホバあなたのであり、あなたの✟右の手を握ってあなたに言う、「恐れてはならない、❶わたしはあなたを助ける」。

14「恐れてはならない。❽虫であるヤコブ、あなたがたイスラエルの❾わずかな人々よ。恐れてはならない。❶わたしはあなたを助けると、エホバ、あなたの贖い主イスラエル聖なる方は告げられる。

15見よ、わたしあなたを❿新しいもろ刃のついた鋭い打穀機とする。あなたは❷山々を踏みつけて、粉々にし、丘をもみ殻のようにする。

16⓫あなたが吹き分けると、風は運び去り、暴風はそれらをまき散らす。しかし、⓬あなたはエホバにあって歓喜し、イスラエル聖なる方にあって誇る。(回復訳)

 

へブル4:12(説明用)

12なぜなら、⓭の言は生きていて活動しており、どんな❿もろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を切り離すまでに刺し通して、⓮心の思いと意図を識別することができるからです。(回復訳)

 

「山を動かす信仰」に必要なのは、5つのプロセスです。

⑴ 神を信じよ

主はありがたくも、❶「神を信じよ」「恐れてはならない。わたしはあなたを助ける」と言われる。大きな山に比べて、われわれは❽虫けらのように小さいものであります。また人数も足りない。❾わずかなものです。そんな中で、主は、われらの✟右の手を握ってまでして、確かであると確信させながら「❶あなたを助ける」と約束される。ハレルヤ!あなたは、その御手のぬくもりを感じながら、山を動かすようなそんな大きな望みを抱き、神の約束に基づき、「❼すべて受けた!」のです。そう見とるのです。

⑵ 山に向かってみ言葉を宣言せよ

主は、❷ 山に向かって「取り去られて、海に投げ込まれよ」と言え!とおっしゃっています。われらは「❿新しいもろ刃のついた鋭い打穀機」なのです。その❿もろ刃とはへブル4:12にある「⓭神の言」であり、与えられたみ言を宣言し、進む打穀機(われわれ)の❿刃なのです。主の御約束を心に信じ、告白するのです。その告白には、⑴に基づく信仰、「❺心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるなら、❻そのとおりになる」が必要です。すると「⓭神の言は生きていて活動」しはじめます。

⑶ 思いと意図を識別せよ

あなたが、信仰をもって山を動かそうとしたとき、そこには間違いなく大きな壁があるでしょう。⑵の補足ですが、大切なことがあります。「神の言」はわれわれの「⓮心の思いと意図を識別」します。その心の思いや意図は、神の御心に合致すべきものかどうかを「みことば」によって見極めていただく必要があります。それは、聖書を読むだけでなく、祈りの中で神にたずね、確信を得ることです。そこで確信が与えられるなら、GOです!

⑷ わずかでも行動し始めよ

主は、われわれが❽虫に過ぎず❾わずかであると言われます。しかし、山に向かって「❸取り去られよ!❹海に投げ込まれよ」と宣言しろ、「❻そのとおりになる」と言っています。だれが「取り去り、投げ込む」のでしょうか。それは、もちろん主です。しかし、勘違いしてはなりません。主は「恐れてはならない、❶わたしあなたを助ける」と言っているのです。行動の主体は「あなた」です。「恐れずにとりかかれ。そうすれば助ける」と言っているのです。❾わずかで❽虫けらにすぎないわれわれが、最初にやることは、意志をもって行動することです。「⓫あなたが吹き分けると、風が吹いてくる」と言っています。主語は「あなた」です。また、❿打穀機は納屋にしまっておいては、何の用もなしません。われわれは、山をこなごなにする❷打穀機なのです。山をくずし❸取り去り、❹海に投げこむ力のある打穀機です。❾小さくわずかの人数でも、仲間と行動を始めるのです。まず❿もろ刃のついた打穀機が動き始めるのを主は待っておられます。そのあとで主の御手が動き出すのです。「行いがともなわない信仰は死んだものです」。(ヤコブ2:12)

硬い岩にぶち当たっても、⓭神の言は生きていて活動し始めます。その❿もろ刃で切り崩すのです。打穀機とは収穫時に使う道具です。このお話は、終末の収穫期について語っているのかもしれません。聖霊の風で山のように多くの魂が⓫吹き分けられるのです。聖霊に満ち、風を送りましょう。

⑸  神に栄光を帰せ

山が動き出すと、❽虫けらは、「自分の行動ですべてがうまくいった」と早合点しがちです。そんな心ですから、「❽虫けら」なのです。「 しかし、⓬あなたはエホバにあって歓喜し、イスラエル聖なる方にあって誇る」のでなければなりません。そうすれば、主は惜しみなく助けてくれるのです。主に栄光を帰すのです。われわれの信仰に応え、主が完成されるのです。主が山を動かされるのです。ハレルヤ!その心があれば、いつも喜んで、絶えず祈り、すべてのことに感謝できるのです。(Ⅰテサロニケ5:16-18)

※実際に山が動く信仰を見てみましょう。山を動かした奇跡の男の実話(Manjhi,The Mountain Man) その信仰に学ぶべきです。彼は、村と街をつなぐ危険な岩山超えで最愛の妻を亡くし、この岩山を切り崩し道を造ろうとします。Manjhiの「山が動く」と信じる22年間の信仰は、成就しました。しかし、まだ人の力にすぎません。われらは、アブラハムのように信仰によって用意するだけでいいのかもしれません。聖霊の風で⓫吹き分けるだけでいいのでしょう。⓭生けるみ言により大いなる神の力が発動されて、山が動き始めるのです。ハレルヤ!

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