回復訳 へブル12:2
「わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい.彼はご自分の前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、そして神の御座の右に座しておられるのです。」
- 口語訳ヘブル 12:2信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
- 新改訳へブル12:2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
- 新共同訳ヘブライ 12:2信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
- 文語訳ヘブル 12:2信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歡喜のために、恥をも厭はずして十字架をしのび、遂に神の御座の右に坐し給へり。
イエスを、ひたすら見つめていなさい!~回復訳いいですね。
Q.あなたにひとつの目しかないときに、何を見ますか?この世の生活のわずらいですか?何度祈っても癒されない病ですか?いくら悔い改めても変わらない自身の肉ですか?あなたを取り巻く困難な状況ですか?人間関係ですか?お金ですか?
回復訳 へブル12:1-2
「こういうわけで、こんなにも大勢の証し人である雲に囲まれているのですから、わたしたちも、あらゆる重荷と、いとも容易にまといつく罪をかなぐり捨てて、❶前に置かれているレースを、忍耐をもって走ろうではありませんか.わたしたちの❷信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい.彼はご自分の❸前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、そして神の御座の右に座しておられるのです。」
Q.まだ3次元の滅びゆくものに目を向けているのですか?50年か100年したらもうなくなってしまうものに目を向けているのですか?あなた自身、この世界に居続けることはできないのです。100年したら、まわりで見ることのできる知り合いも、だれもいないでしょう。
A.ひとつの目で見るものとは。パウロが言っている答えでは、❶前に置かれたレース、❷信仰の創始者、また完成者であるイエス、❸前に置かれた喜び です。
わたしも、信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていたい。ダビデのように、面前に主を!
内村鑑三師は、現世だけでなく、死後の不安をも偕にいて拭いさってくださる方について以下のように言っています。
「死は何人(なんびと)にも来る事である、彼は単独で死の河を渡らなければならない、其時医師も牧師も彼に何の用をも為さない、又哲学も宗教も彼の援助とは成らない、死の河を渡る時の唯一の伴侶、唯一の慰藉者(なぐさめ主)はイエスである、彼に携えられて死の旅行はさみしくないのである、イエスのみが現世と来世とにまたがる友人である、此人のみが無限の大海に乗出す時の唯一の水先案内である。」(内村鑑三 「大森にて」 より(「聖書之研究」 第141号)
今の世の中では、いろいろな宗教家や牧師やこの世の指導者が、みな違ったことを言っています。しかし、彼らの一人として、私達を救うことはできない。援助にはならないと言っています。彼らは、あてになりません。救いは、主イエスだけです。
死後だけではない、この方こそが現世でも、いつまでも一緒に寄り添ってくださる唯一の友人なのです。
回復訳 使徒行伝4:12
「この方のほかに、救いはありません.わたしたちが救われるべき名は、この名のほか、天下のだれにも与えられていないからです。」
どうぞ、この方を見出し、この方とともに歩んでほしいのです。空想ではない。その実存に触れてほしいのです。在りて在る実存に。
口語訳 マタイ28:20
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」
アァメン。