トマスによる福音書は、イエスの語録集として古くから外典の中でも注目され、その真偽のほどが議論されてきました。その文章の中には3つの共観福音書との共通点も多く見受けられると同時に4福音書には見られない一般には理解しがたい文章も多い。それゆえに福音書としての採用を敬遠されたのだと考えられます。私は、この難解な語録集だからこそ、そこに真実が隠されていると思っています。偽物ならば、もっとわかりやすく世人が納得しやすい文章を書くことでしょう。しかし、このトマスの福音書は、世人にはでたらめに見えるような言葉の羅列に思えます。それがこの114節を福音書と比べ合わせ、ことばのパズルを解き、天国の目で読み進むときに、不思議と生命が輝き出してくるのです。ここに少しでも主イエスの語られた御言葉が含まれているならば、この章立てすらない114節のみの短い語録を解釈することは徒労にはならないと思います。それどころかこの語録集の序文には、「だれでもこれらの言葉の意味に行きつくなら、彼は死を味わうことがない」とあり、この語録が永遠のいのちに導くものであることを示唆しています。序文の文書が本当なら、驚くべき宝が隠されていると言えるのです。イエスが見出した永遠の生命の真理と彼の直接語ったみ言葉を悟り極めること。これほどわくわくする作業はありません。難解でわからない箇所も多い、また羊皮紙に穴が開き欠落しているところもあります。そこは英文の()で表しています。とにかくこの宝の隠された畑を耕してみたいのです。
10
* S a i d -J S10 this: This-heaven will-pass-away, and she-who-is-above her will-pass-away, and those-who-are-dead, they-live not, and those-who-live,
they-will-die not. > The-days you(pl)-were-eating what-is-dead, you(pl)-were-making it(m) that-which-lives; when you(pl)-should-come-to-be in-the-l-ight, what i s (it) you(pl)-will-do()? > On-the-day you(pl)-were one, you(pl)-made the-two; when, hwvr, you(pl)-should-come-to-be two, what is (it) which-you(pl)will-do()?
10直訳
J S10「❶イエスは言われた。この天は過ぎ去るだろう、そして❷その上の天も過ぎ去るだろう。❸そして死んでいる者は生きず、また生きている者は、死なないだろう。❹日々あなたたちは、死んだものを食べていた、あなたたちは、それを生きるものとした。
あなたたちが光の中に来るべきとき、あなたたちは何をするだろうか。あなたたちが一つだった日に、あなたたちは二つになった。しかしながら、あなたたちが二つになるべきとき、あなたたちは何をするだろうか」。
❶の「この天」とは、「この」が付くので、頭上の空(大気圏)を指しており、❷空の上の天は、宇宙空間でしょう。この地球にある❶天(大気圏)も、その上の❷天(宇宙)も過ぎ去ると言っています。聖書では、Ⅱペテロ3:07 「しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです」。
Ⅱペテロ3:10には、「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象(諸元素)は、焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」。天の万象(諸元素)が焼けるとは、まさに宇宙の天体と時空をつかさどる万象までもが焼けてくずれ去る終末を語っているのでしょうか。今話題のベテルギウスの超新星爆発のようなものでしょうか。
旧約のエゼキエル書1章をもとに、神を宇宙人と同一視する輩もいるようですが、この宇宙がなくなるのですから、宇宙人もいなくなるのです。神は、そんな宇宙の終わりにも存在しておられる方であり、3次元の宇宙の終わりをすでに見ている高次元の時間を超えたお方です。決して宇宙人ではないわけです。時や次元を超えている方が、宇宙人のわくには入らないのです。つまりこの宇宙を創造されたのですから、この宇宙に依存するお方ではないのです。❸「そして死んでいる者は生きず、また生きている者は、死なないだろう」とは、❶空中の天と❷宇宙が終わると、死と生のさばきが確定することを暗示しています。万象が焼けてくずれ去るのですから、時間すらなくなってしまうのでしょう。死んだ者とは死に定められた者を指し、もう生きることができなくなります。生きている者とはキリストの生命にあずかった者を指し、生にとどまることが確定されます。これは生死が完全に分けられて、その状態で確定することを指すのではないでしょうか。ここで死とは地獄であり、生とは天国での永遠のいのちを指しているようです。
❹「日々あなたたちは、死んだものを食べていた、あなたたちは、それを生きたものとした」これは、普通の人間が、日々死んだもの(生き物の肉や魚)を食べていたが、それが人間の身体になり生きたものとなったということでしょうか。
最後の晩餐の主の言葉から、十字架で死に復活したイエスの肉(パン)と血(ぶどう酒)を食べることで、永遠に生きるものとなったという解釈もできます。
ヨハネ福音書から補填すると、意味が繋がります。
イエスは、最後の晩餐で、パンとぶどう酒を取り、ヨハネ福音書6:54でこう言っています。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。6:58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」イエスの肉=パンであり、イエスの血=ぶどう酒を指します。マタイ福音書4:4では「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」とありますから、真の「パン」は「神のことば」と解することができます。また、「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ4:34)から「パン」=「みことば」=「父の御業を成し遂げること」と解せます。そしてマタイ福音書26:28により「ぶどう酒」=「契約の血」とわかります。イエスの十字架の死によりもたらされた、われわれを生かすためのイエスご自身の肉体と血=パンとぶどう酒。われわれは、主イエスの十字架での贖罪により、霊的な真の生命の食事をいただき、永遠に生きる者となるのです。みことばとその実践、贖罪が鍵でしょう。
10①意訳
J S10①「イエスは言われた。❶この天(大気圏)は過ぎ去るだろう、そして❷その上の天(宇宙)も過ぎ去るだろう。❸そして(時は止まり)死んでいる者は生きず、また生きている者は、死ななくなる(地獄と天国は確定する)だろう。❹日々あなたたちは、死んだもの(魚や肉やパン)を食べていた、(しかし)あなたたちは、それを(わたしの肉と血、就ち、みことばのように父の御わざを成し遂げ、流した契約の血により永遠の命を受け)生きるものとした。」
~トマスの福音書10②へ続く