今日の礼拝では、最後に天が開かれ、御手で雲の上に引き上げられる幻を見ました。会衆が引き上げられるのです。また、「後の者が先になる」について開かれました。
マタイ伝20:10ー16
10ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
11もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
12言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
13そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
14自分の賃銀をもらって行きなさい。❶わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
15自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
16このように、❷あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(口語訳)
「❷あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。」とはどういうことですか?すると後の者が先になったら、また、その先の者が後になるのではないでしょうか?
そうじゃない、「❶わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。」とは、天国に入るものは、平等である。救いの代価も平等である。誰が先になる、後になるのではない。みな、一緒に入るのだ。同じ救いの代価を受けるのだ。
なるほどⅠテサロニケの通りですね。❸先の者も後の者も共に引き上げられ、空中で主と会い、常に主とともにいるのですね。ハレルヤ!
Ⅰテサロニケ4:16-17
16なぜなら、主ご自身が、1号令の叫びと、天使の長の声と、2神のラッパの音と共に、天から下って来られ、そしてキリストにある死人がまず復活するからです。
17次に、生きていて、残っているわたしたちが、❸彼らと共に雲の中に1引き上げられ、2空中で主と会います.こうして、わたしたちは常に主と共にいるのです。(回復訳)